老舗水族館の"崖っぷち"経営学 img1_1.jpg
神戸市立須磨海浜水族園     
経営企画室長 小 林 弘 嗣


は じ め に


 皆さん、こんにちは。皆さんは入社3年目と伺っています。講演テーマを「老舗水族館の"崖っぷち"経営学」としていますが、キャリア3年の皆さんがこれから飛躍していく、まさにジャンプアップしてもらえるような内容をお伝えし、ひとつでも持ち帰って会社の中で活かしてもらえたら嬉しいです。
 私は須磨海浜水族園に来て5年になります。この5年間の軌跡について、どのような取り組みをどういう思いでやってきたか一例を交えてお伝えしていきたいと思います。
 まず自己紹介から。私は須磨海浜水族園の経営企画室室長の小林です。水族園には飼育員、社会教育、接客、設備管理また研究者など、総勢68名のスタッフが在籍しています。



(2015年3月当時)


 私はコンサルタント暦16年です。今回の講演テーマである経営だけではなく、過去にはまちづくり、地域計画、都市計画、集客施設計画をしてきました。例えば道の駅、田舎町の地域活性のための都市計画です。
 須磨海浜水族園には5年前に来ましたが、その直前はPPP(パブリック・プライベート・パートナーシップ)すなわち公民連携の事業を計画していました。行政と民間にはそれぞれの特徴がありますが、公と民が連携するスキームを立て、より大きな力になるように公と民を繋げる仕事をやってきました。
 そして、後から紹介しますがこの水族館でも同様の企画をしていて、そういう意味ではコンサルタント暦は21年になります。私はコンサルタントを「風の人」と考えています。コンサルタントはまちづくりを1〜2年計画してその地域を去ります。それに対して実際にその計画を実現する人を「プレイヤー」と呼んでいますが、そのプレイヤーとは地域の人です。私は「風の人」でもあり、「プレイヤー」でもあります。5年前、須磨海浜水族園の企画室に配属され、プレイヤー暦5年となりました。コンサルタントは数年間計画した後その地を離れるのに対し、プレイヤーは逃げ場がなく、改めて立場が違うことを実感しました。
 現在もマネージメントとして経営をしている一方で、他に集客計画、地域連携のスキームを作ったり、まちづくりを計画(プレイヤー)しています。



講演の様子



水族館の使命


 この水族館は非常に歴史があり、1897年和田岬に和楽園として開園。このとき日本で初めて水循環水槽を設置しました。
 そして1957年須磨水族館が開館しました。今は水族園ですがこの時は水族館で、今より少しコンパクトでシンプルな建物でした。当時日本そしてアジアで最大規模の本格的な水族館といわれ、こうしてみると水族館とは意外に新しい施設であることがわかります。
 1987年に須磨海浜水族園が開園。今のこの建物は27年前にできましたが、水族園の入口にある大水槽は1200tあり、当時は日本一の水槽でした。ここから水槽大型化の競争が始まりました。当時一番の設備でも時間が経つと旧式となっていき、それでも運営していかなければならないのが現状です。
 水族館には重要な役割があります。1つは社会教育としての役割で、生きた教材を使って地域の人たち、子どもたちへの教育、生涯学習に使われます。2つ目は調査研究で、職員、研究スタッフたちはたくさんのテーマについて調査研究を進めており、社会に研究成果を還元したり、あるいは得られた知見を水族館の運営に活かしています。3つ目はレクリエーション。そして4つ目は自然保護の役割です。水族館ではいろいろな生物を飼育展示していますが、その技術やノウハウを社会に還元しています。生物多様性や外来種などの実フィールドでの諸問題に対して、自然保護の役割を期待されています。



小林室長の話に真剣に耳を傾ける参加メンバー



職員は公務員ですか?


 この水族館は神戸市立の施設なので、しばしば「職員は公務員ですか?」と問われますが実はそうではありません。建物は神戸市所有ですが、運営は民間です。先ほどPPPの話で紹介したように、公設民営という形態で行政が建物、民間が運営という形をとっており、5年前に指定管理者制度により民営化しました。当時、水族館を民間で運営するのは須磨が初めてで、そのため水族館業界から公共の水族館を民営化することに対し批判もありました。
 現在の形態は須磨海浜水族園共同事業体として4つの組織で成り立っています。代表企業は株式会社ウエスコ、そのほか構成企業が株式会社名鉄インプレス、株式会社アクアート、一般財団法人神戸国際観光コンベンション協会です。これまでの経緯を時系列で説明すると、最初は一般財団法人神戸国際観光コンベンション協会が官主導による運営を行ってきました。その後、第2セクターである3つの民間企業により運営し、意思決定がとても早くなり事業推進力が上がりました。そして現在は、第3セクターである旧運営者の公共性を得て互いの強みを活かし、弱みを補完し強い組織を形成しました。
 冒頭に紹介したように水族館といえば飼育をイメージされるかと思います。魚類飼育課や、イルカ・アザラシの海獣飼育課、そして社会教育課などが水族館の核となります。その中で、私は企画をしているポジションですが、なかなか苦労してきました。



"崖っぷち"からのスタート!!


 ここで1957年の旧須磨水族館の時代以降の集客の推移グラフを紹介します。開園当初100万人を上下しながら推移し、真ん中での昭和62年で落ち込みが見られますが、これが建替時期です。そして新しくなった時にグラフが跳ね上がり240万人の来場がありました。
 その後、急激に落ち込んでいるのが阪神淡路大震災のときです。震源地に近く多大な被害を受け建物も被災しましたが、早期に復旧し数ヶ月で再開したと聞いています。
 さらにその後、山が2つあります。1つ目はアマゾン館というテーマパークが新設され、たくさんのお客様に来ていただきました。2つ目の山は、新型インフルエンザが流行した時期で消費が落ち込んだ年です。このとき無料開放を行ったため1ヶ月で70万人の来場がありましたが、翌年は落ち込みました。
 私はその山のあと、今から5年前に水族園に配属され、厳しい状況からのスタートとなりました。震災やインフルエンザの流行、酷暑など外的要因でも苦労しています。さらに施設は27年も経つと見えないところが老朽化していて、予防保全では対応できない程に設備が日々老朽化してコストがかかります。また古い施設は魅力も下がっていきます。まさに"崖っぷち"からのスタートでした。
 しかし、そうも言っていられないので、知恵を絞って、みんなで考えました。まずはその考え方からご紹介します。

 フェーズ1「館の時代」は、1957年以降の水族館はいわゆる箱型の水族館でした。
 フェーズ2「園の時代」は、200ヘクタールの非常に広い敷地を公園のようにデザインし自由に散策しながら楽しむことができるようになりました。
 そしてフェーズ3「圏の次代」では、水族館を拠点にして外に出て行く動きができないか、新しいビジネスを外に作り出せないかと考えました。この発想からいろいろなアイデアが出てきましたので、紹介したいと思います。
 水族館の4つの役割は先ほど説明したとおりですが、わたしが経験してきた街づくり、技術開発や研究、これらを活かし、中と外含めて新たな取り組みが生まれました。





 「スマスイ」の魅力づくりに向けて


 イルカふれあいプールやアザラシふれあいプールは「もっと生物を身近に触れ合いたい」というお客様から要望をいただき、直接触れられる場を設けました。これにより生物とお客様の距離感を縮めるようにしました。
 日本最大級のオオアナコンダ水槽の設置では他にはない展示をしたり、淡水亀の保護研究のため亀楽園の施設を設置しています。須磨ドルフィンコートでは須磨海岸にイルカを放し、今年で3回目になりますが、多くの人が集まりました。
 他にもウミガメの研究として、ウミガメが定置網に引っかかってしまうことが世界的に問題になっていて、それに対しウミガメの脱出装置の開発を行っています。その実験を大水槽で実際に実施し展示しています。
 さらに神戸賞というものを設立し、優れた研究成果を上げた研究者を表彰して日本に来てもらい、水族園で講演していただいています。今年で5回目になります。
 利益の一部を社会に還元していきたいとの想いから、NPOに対し助成も行っています。その成果を水族園に還元してもらう取り組みを行っており、毎年10数の団体が活用しています。
 次にイベントサービスを紹介します。普通の水族園は9時から5時までしか運営できないと条例で決められていますが、5時以降に広いスペースが未利用となるのはもったいないと考えました。実際に仕事される方は夜まで仕事されています。閉園後を活用してビジネスにつなげるべく始めたのが貸しきり水族園です。主にパーティー利用で企業や一般の団体へ貸したり、結婚式の二次会、シンポジウムや講演会に使用されており、結構人気があります。また、今年の冬からアクアイルミナージュという夜のライトアップのイベントを行いました。
 次にイルカと一緒にカウントダウンです。神戸は大規模なカウントダウン会場はほとんどないということもあり5年前から始めました。始める前は大晦日にお客様が来るのかと疑問の声もありましたが、実際にやってみると非常にたくさんの方にお越しいただきました。0時のカウントダウンとともにイルカがジャンプして非常に盛り上がりましたので、皆さんもぜひお越しいただけたらと思います。
 他には地域連携として、地引網体験と食育イベントを実施しています。神戸市・漁業とタイアップし、実際に地引網で魚をとってそして食べるところまでを体験できます。
 他にも神戸西部地区観光施設協議会として、20数施設のネットワーク組織で、広域観光の推進事業を須磨海浜水族園を拠点としてやっています。



魚(うお)ガール?!


 こういう取り組みは経験がないと企画できない面もあります。技術的に難しかったり、質が高くないとできないこともあります。だからといって若手スタッフが何もしてないわけではありません。皆さんは3年目の社員と聞いていますが、うちの若手スタッフもがんばっているので、その事例を紹介したいと思います。
 まずは「リアル謎解きゲーム」です。秋口に実施しており今年で4回目になりますが、お客様にたくさん来ていただいています。水族園を海底都市に見立てた脱出ゲームです。集客・収益も上がった成功例で、これは27歳スタッフが企画しました。他には女性24歳スタッフが企画した「浴衣de七夕」は女性らしい発想でした。次に「GOGOハロウィン」は22歳の企画ですが、おじさんからすると「ハロウィンって何?」という話ですが、世代で捕らえ方が違うと感じ、これこそ若くないとできない発想だと気づかされました。「魚(うお)ガール」という企画は、おじさんには恥ずかしいと感じるネーミングでした。女性3人で割引となる内容で、その客層はこれまでターゲットとして考えていませんでしたが、やってみると本当に女性が3人で来たので驚きました。
 まだまだ紹介したい企画もありますが時間の関係もありますのでここまでにしたいと思います。



お伝えしたいことは3つだけ


 皆さんに何か残したいと思っていますので、最後に3つのことを伝えたいと思います。
 1つ目は、『発想は柔軟に!やってやれないことはない』です。
 これは、組織が年を食ってくると成功体験でがちがちに固まってしまい、新しい発想がなかなか出なくなります。その点皆さんは一通り会社のことがわかり、仕事のベースができて、いろいろなアイデアが出る時期だと思います。そのアイデアに対し、実現するためにはどうすればできるのかという発想で取り組んでもらいたいです。大抵はやってやれないことはありません。本当にやろうとの信念さえあればできることはたくさんあります。そのためには、皆さん自らが変わらなければなりません。相手は変わりません。
 2つ目に、『会社や組織、地域に愛着を持とう。自分のためだけではない動機が大事』です。
 仕事ができる人の多くはこれを持っています。愛がない、自分のために仕事してできる人は稀だと思います。同期のネットワーク、部署に対する想いがある、会社に対する熱い想いがあると組織に少しでも還元したい、それがモチベーションにつながります。自分のためだけに仕事するのは、とてもさびしいと考えています。これは本当に大事なことだと思います。
 3つ目に、『失敗を積み重ねてOK、リスクを取れ! 小さな失敗から大きな成功を得る』です。
 失敗を重ねた人は10年、20年後に成功します。動かないと失敗はありません。会社がつぶれるような大きな失敗は危険ですが、小さな失敗は若い人だから許されることがあります。これからの皆さんのご活躍に期待しております。
 ぜひ須磨海浜水族園に遊びに来てください。 ご清聴ありがとうございました。





プロフィール

小 林 弘 嗣 (コバヤシ コウジ)
   
 

神戸市立須磨海浜水族園 経営企画室長 
(所属企業:株式会社ウエスコ 須磨海浜水族園事業部 参事)

まちづくりコンサルタント(技術士:総合監理部門)。専門は農村地域計画、地域マネジメント。1994年に総合建設コンサルタント会社に入社後、2010年より神戸市立須磨海浜水族園に赴任。現在、同園経営企画室長として経営戦略、集客企画などを主業としながら、まちづくりコンサルタントとしても活動。