デムベレルさんとは、ずっと前からの知り合いなのですが、初めてあったのはいつどこだったのか思い出そうとしてなかなか思い出せません。知り合いであることが当たり前のような方です。デムベレルさんの講演によると、1979年から81年まで東京外国語大学に留学していたとあります。その時期、私は同じ大学の学部の学生だったので、このとき知り合ったのだと思います。35年も前のことです。その後、私は、1987年から90年、94年から99年、在モンゴル日本国大使館に勤めることになるのですが、ここで、私はデムベレルさんと同じ職場になるわけです。
大使館の仕事の上で、デムベレルさんには、モンゴル語と日本語の翻訳やモンゴルの生活習慣、国の制度などありとあらゆることについてよく相談しました。何時も的確な答えがあり、わからないことは調べたり人に聞いたりしてくれます。その中でも言葉については特に細かく、翻訳をするときは、きちきちと訳すのです。この点で、デムベレルさんの仕事ぶりは大変信頼のできるものでした。辞書の編纂者としても、また教育者としてもご活躍されているのは、このデムベレルさんの能力が高く評価されているからだと思います。
そして、デムベレルさんの交流活動でのご活躍は、デムベレルさんの両国の交流を進めようとする長年にわたる強い意志が実ったものです。デムベレルさんが日本語を勉強し始めた社会主義時代、東西冷戦の中、日本語は「敵の言語」だったわけですが、そんな中で日本語を勉強し、両国の交流を仕事として目指すというのは、大変強い意思の力があったからだと思います。
長い間のデムベレルさんの努力が報われる時代になりました。デムベレルさんのこれまでの活動への勲章は、デムベレルさんの努力により日本とモンゴルの間で幅広い交流が行われるようになったことだと思います。その温和なほほえみを思いだしながら、デムベレルさんへこの言葉をお送りいたします。 |