はじめに

マルチン郡へ送る物資や絵画を前に、大きな期待と若干の不安を抱く第4次図書贈呈交流団の8名


広がる交流、深まる友好、新たに足跡を刻んだ第4次図書贈呈交流団
第4次図書贈呈交流団 団長  三枝 大輔
(事務局長)

 私たちエコユニオンがマルチン郡へ図書を直接届けるこの活動は、今回で4回目となりました。前回の第3次図書贈呈団に引き続き、今回も神鋼鋼線工業労働組合より2名を派遣いただき、当ユニオンの6名と合わせて、計8名が今回の第4次図書贈呈交流団としてモンゴルへ向かうこととなりました。
 今年の3月に、第2回大好きなモンゴル展が開催され、1999年から始まる私たちエコユニオンとモンゴル国との交流で初めて、モンゴル国からデムベレルさんをはじめ、オブス県からヤダムスレンさん、マルチン郡より3名の先生方を含む9名の派遣団を日本へお招きし、日本の教育施設の視察を中心に日本文化にふれていただくことができました。これにより、今まで日本からモンゴルに一方的に行くだけではなく、双方向に交流することで、これまで以上にお互いの文化をその地で理解し合えることができ、モンゴルと日本との交流が新たに一歩進んだのではないかと実感しました。これにより、今回の第4次図書贈呈交流団をモンゴル国の各関係者の方々から友人のように盛大に出迎えていただけたと心から感じました。
 私自身今回の旅で一番驚いたことは、モンゴル国の発展です。第1次が訪問した2004年には、マルチン郡では電気も通っていなかったと聞いていましたが、今回はマルチン郡から日本へ携帯電話で話すことができました。このような発展を感じることができるほど、この活動が長きにわたり続いていることを実感しました。国としては発展してきましたが、現地にいる子どもたちの笑顔や透きとおった眼差しは、過去の贈呈団の写真で見たそれとまったく同じでした。この活動で得られた気持ちをこれからの若者たちに伝えていくためにも、継続すべき活動だと改めて決意しました。
 この旅でメンバー全員、貴重な体験をすることができました。オブス県ウラーンゴムでの学校視察、マルチン郡では恒例となったスポーツ交流や図書贈呈式、またオブス県知事の表敬訪問など、普段では決してできない経験を通して得られた感動が、それぞれの心に刻まれました。今回の旅の記録を、メンバーがそれぞれの言葉で語っていますので、近くにメンバーがいましたら、是非、生の声を聞いてください。
 最後に、今回もモンゴル国では大変お世話になりましたデムベレルさんをはじめ、関係者の方々に旅が成功裏に終わったことを改めて深く感謝いたします。また、今回の8名のメンバーが一緒に旅をする機会を与えてもらい、快く送り出していただきました職場のみなさんに心より感謝いたします。



ウラーンゴム郡立小中高等学校視察

 5月29日(水)、モンゴルに来て初めての交流イベントとして、オブス県ウラーンゴム郡内の小中高等学校を訪問した。少し飛行機の到着が遅れていたため、子どもたちは下校時刻となっていたが学校で待っていてくれた。まず、中学1年生の理科と小学4年生の数学の授業風景を見学。子どもたちのノートや教科書を見せてもらい、「これは何?」と英語で聞くと、英語で答えを返してくれる子どもたちもいた。珍しい日本人が学校に訪れたので、子どもたちは緊張していたが、笑顔で話しかけると少し恥ずかしそうに笑顔で答えを返してくれた。



小学4年生の数学の授業風景

生徒に笑顔で声をかける

 その後、講堂のような場所へ案内され、歓迎のセレモニーをしてくれるとのことだった。セレモニーの内容は、高校生の男の子による「馬頭琴演奏」、続いて高校1年生の女の子による歌が披露された。その後も、中学2年生の女の子による演武、中学1年生の女の子たちによる琴の演奏を見させてもらった。いずれも、一生懸命歓迎してくれているのが伝わってきて、うれしい気持ちでいっぱいになった。



歓迎セレモニーの一コマ、モンゴル琴の演奏

これまでの交流の軌跡を紹介するデムベレルさん

 最後に、まずオブス県社会開発課長であるヤダムスレンさんから「私自身、3月に日本の神戸に行き、学校や日本の文化を視察した。その際に、マルチン郡の学校の先生3名も同行して、同じく交流を行った。この交流は非常に良いものであった。これからもぜひ続けていきたい。」と挨拶があり、続いて、デムベレルさんより今回の交流団は4回目になることやこれまでの交流団の軌跡を説明いただいた後、「これまではマルチン郡のみだったが、今回はこのウラーンゴムの学校にも日本の若者が来てくれた。この交流が広がっていることをうれしく思っている。また、さらに広がっていくことを願っている。」と挨拶があった。そして、交流団を代表して、団長より「私たちは、初めてモンゴルの学校を訪問した。授業を見させてもらって純粋に勉強している子どもたちを見て、心を打たれるものがあった。また、大変すばらしいセレモニーまで準備されていて、歓迎されていることにとても感謝する。今回の訪問で見せていただいたことを、私たちの周りの人や子どもに伝えたいと思う。そして、さらにこの交流が広がることを期待している。」とお礼を述べた。

(三枝大輔)



図書贈呈

大草原を走りマルチンを目指して


 5月30日(木)モンゴルに来て3日目、いよいよマルチンに向けて出発。移動手段はロシア製のバン、車輪間隔が日本車と比べて短いのが特徴で大草原の中でぬかるまないための強い味方だ。ただ、サスペンションはよくなく、起伏の激しい道無き道を進むたびに、揺れによる車酔いと振動による腰などへの痛みが増してくる。草原を進むと車の前に家畜の群れが次々に現れ、これぞモンゴルという景色の中で、遊牧民に道を聞く運転手。何も目印のない中を目的に向かって走る光景は、ナビ付きの車にのることに慣れてしまった私たちにとって大きな衝撃であった。そんな思いを抱きながら車に揺られていると世界遺産のオブス湖に到着。雄大で自然そのものが残るこの塩湖に心を奪われている間に、車酔いなどの辛さは吹き飛んだ。オブス湖では遊牧民が家畜に水を飲ませていた。そっと近くによってみるとまだ子ども、中学1年生だという。子どもの頃から遊牧民の一人として立派に生活している姿に心が熱くなった。
 オブス湖を後に車を進めると1軒のゲルが見えた。ゲルからたくさんの人たちが出てくる。車を止めて、外に出ると3月に教育施設視察団の一員として来日していたノロフ先生がいた。このゲルはノロフ先生のお兄さんの家とのこと。羊肉入りのうどんやお菓子など大歓迎を受け、砂丘にも連れて行ってくれた。何十kmと続く砂丘。足跡のついていない砂に裸足で踏み込むと団員全員が童心に返ってはしゃぎ、ビールとウォッカで乾杯。馬やラクダにも乗せてもらった。一生忘れられない素晴らしい思い出になった。



大自然にテンションMAX

オブス湖で偶然であった遊牧民の少年


訪れたゲルでは心のこもった歓待が

 別れが名残惜しくなりながらもマルチンに向けて再出発、続いてマルチン郡に到着間近にもう1軒別のゲルへ。ここでも羊肉の料理で大歓迎。歓迎される喜びと一緒に羊の石焼きの味を噛みしめた。小休憩後、ようやくマルチン郡の中心へ。ウラーンゴムを出発して10時間が経過しており、着いたのは19時だったが、さすがモンゴル。日は全然明るい。宿泊するゲスト用ゲルの前に、子どもたちや先生方が並んでお出迎えしてくれた。諸先輩たちが築き上げてきたこの交流が現地に根付き、現地のみんなが図書贈呈を心待ちにしてくれているのを心から感じ、これからの交流が楽しみになった。(山田将太)



文化交流


 前回の図書贈呈団同様に折り紙による文化交流を行った。メンバーが本を片手に身振り手振りで子どもたちに教えていく。子どもたちは熱心。どんどん我先に我先にと次の手順を教えてと飛びついてくる。まだ次のステップに進めていない子に手順を教えていると、始めは我慢していた次に進みたい子どもたちは、次第に私たちの持参した折り紙の本を自分たちで見始め、日本語は分からないが表記された絵を見ながら試行錯誤し自分たちでどんどん進めていく。もはや途中から教える必要が無くなっていく。これもできた、こんなのもできた、次から次へと子どもたちが自分で作って持ってきてくれた。探究心、発想力の溢れた子どもたちのパワーに圧倒されながら一緒に楽しむことができた交流となった。(藤澤 卓)

折り紙教室の様子

 ソロバンを使っての交流は今回が初めての取り組み。モンゴルでは見慣れないソロバンとあって、子どもたちより若干大人の方が多く参加していた。さすがに身振り手振りだけで教えるのは不可能で、デムベレルさんに通訳をお願いした。四則計算の一通りを伝えたかったが、ソロバンを初めて使うということで、玉をはじくので精一杯。交流をする時間も短く、足し算と引き算のみで終了。新しい日本の文化を少しでも伝えることができ嬉しいと思う反面、もっと上手に教えることができたのではないか、事前にもっと教え方を準備しておけばよかったと後悔。ソロバンの使い方が絵や写真でわかり易く示された本を今度の図書贈呈の際に入れてもらうのに加え、これより先の現地での交流を第5次図書贈呈交流団に託す。(細谷仁人)


そろばん教室の様子
 

マルチン郡での初日の交流を終えて、みんなで記念撮影!


マルチン郡長表敬訪問・マルチン郡学校視察



B.バトスフ郡長挨拶
 5月31日(金)モンゴルへ来て、初めてゲルでの宿泊。1つのゲルに10人が肩を寄せ合って寝ることになったが、昨晩のウォッカも手伝ってぐっすり睡眠。朝起きれば、天気は快晴。この旅のメインイベントである図書贈呈が成功することを見越したような天気になった。朝一番、マルチン郡郡長室へ向かい、B.バトスフ郡長を表敬訪問。郡長からは、郡の概要について説明いただいた。その後、今回も含めて4度にわたって図書を届けてもらっていることに対する感謝と今後もこの交流を続けていきたい旨のお言葉をいただいた。
 その後、施設の前で記念撮影を行い、小中学校へ移動。着くや否や、とてもかわいらいしい装いをした子どもたちによる、歓迎セレモニーがあった。言葉はわからなくとも、歓迎されていることは十分伝わってきた。歓迎セレモニーの後、学校内へ移動。学校内に掲示されている子どもたちの絵画や展示されている工作物を見学。廊下には、日本を紹介する名所の写真も掲示されていて、日本に対して興味を持ってもらっていることにとても感動を覚えた。いつかこのマルチンの子どもたちが日本に来て実際にこの名所を見てほしいと静かに願った。体育館へ向かう途中、倉庫がありその中には、これまでの贈呈団が寄贈してきたバレーボールやバスケットボールなどが大切に使用されていた。「冷水真吾」の文字が書かれたバレーボールを見ると、熱いものがぐっと胸に込み上げてきた。 (三枝大輔)


子どもたちの演奏で歓迎セレモニーは始まった

大切に使用されているボール


スポーツ交流


 毎回の図書贈呈で恒例となったバレーボール対決が行われた。交流団チーム VS 学校先生チームの試合。体育館には観戦スペースがないため、コートを多くの観戦者が取り囲み、ボールの行方に全体が注目するという雰囲気のなか試合が始まった。学校先生チームは入念に準備していたのか1セット目から全力できて、いいスパイクがバシバシきまる。一方、交流団チームは連日のウォッカによる二日酔いの影響かなかなか調子が上がらない。どうにか食い下がるものの、大接戦の末、先生チームが勝利。モンゴルの方の真剣に勝負をする姿に、闘争心が芽生えた。作戦を考え、フォーメーションなどを入念にチームメイトに指示。1セット目と明らかに違い、連携がよくなると交流団チームのスパイクやブロックが決まり始め、2セット目を取り返す。最終セットもそのままの勢いで交流団チームが取り、セットカウント2−1で勝利。強烈なスパイクが飛び出して会場から歓声が上がることもあれば、空振りなどの珍プレーではドッと笑いがおき、会場は大変盛り上がった。何事にも真剣に取り組むということは、改めて素晴らしいなと感じた。両チームは最後にガッチリ握手を交わし、お互いの健闘をたたえあった。


恒例のバレーボール対決

 次に案内されたのは野外の運動場。バレーボールを戦った疲れが癒えないまま、体育の先生から「子どもたちと持久走対決をしませんか?」と突然の提案。交流団からはサッカーで鍛えている藤澤くんと元陸上部の薫くんが参加することになった。1kmの持久走、中学生との対決。普段から大草原を走りまわり、一番元気な中学生が相手ということで惨敗の予感がただよったが、結果は見事、藤澤くんが優勝。一方、薫くんの結果は・・・・。命運の別れた二人であったが、廻りで見守っていた先生方や子どもたちは、出走した全員の健闘を称えていて、更にマルチンの人たちと心がつながった気がした。

持久走対決に出場した藤澤君(左)と薫君(右)

 次に行われたのは、子どもたちによるモンゴル相撲の見学。これは、今回の交流団の訪問に合わせて校内大会として開かれた。一生懸命モンゴル相撲に取り組む子どもたちを見ていると、自然と拳を握りしめて応援し、試合にのめり込んでいった。表彰式には三枝団長が招かれ、勝者の健闘を称えた。中学生の部の優勝者は、大会前に私たちとモンゴル相撲をとって遊んだ子であった。もちろん、メンバーは完敗であり、スポーツ交流の最後の最後でモンゴルの強さを痛感した瞬間だった。 (内田雄大)


モンゴル相撲 校内大会の様子

表彰式で健闘を称える三枝団長


贈呈式



贈呈式を見守る故・冷水真吾さん
モニュメントと肖像画
 今回の旅では贈呈式までの間に大歓迎を受けていたこともあって、行程が非常にタイト。贈呈式の準備を行う時間がなく、いつ準備をしたらよいのだろうと時折、冷汗をかきながらも、子どもたちの笑顔でそのことも忘れ、楽しく交流を行っていた。
 昼食後、いよいよ贈呈式に向けての準備を開始。会場である郡の文化ホールに足を踏み入れると、前回贈呈した友好のモニュメントと冷水真吾さんの絵画が飾られていた。第1次贈呈団として、マルチンの方とバレーボールで交流を深めた冷水さん。大切に使われているバレーボール、時間があればすぐに一緒にバレーボールをしようという子どもたち、そしてこのモニュメント、冷水さんが残した軌跡はしっかりとこの地に刻まれ、冷水さんの心はモンゴルで今でも交流を続けているのだなと思うと胸が熱くなった。

故・冷水真吾さんのご両親から贈られた図書と
当ユニオンからチャリティーバザーなどの売上金をもとに
贈られたスポーツ用品など

 絵画展・パネル展の準備と一緒に、図書の陳列や、ボールへの空気入れなど式典への準備はメンバーが手分けをして行ったことで、1時間程度で会場の準備が整った。この準備中にも、式典を今か今かと待ちわびていた人たちが徐々に集まってきて、早速展示品や贈呈品に目をやっていた。式典まで少し時間ができたので、「冷水真吾記念図書室」の中に入り、当館を管理されている方にお話を伺った。週2回の開館や、遊牧のために離れた場所で生活している方に移動図書館を開いているということを聞き、有効に利用されていることがわかった。第1次図書贈呈を行ってから9年。当時、小学校1年生だった子が学校を卒業した月日である。私たちが贈呈した本読み、視野を広げ、育った子たちが多くいるのかなと想像してみた。その子たちがいろんな夢を抱き、日本を好きになり、更なる交流につながってくれるのではないだろうか?とも思った。
 そして式典が開始。郡長・校長先生の挨拶の後、三枝団長の挨拶があった。マルチンでの大歓迎に対してお礼を述べるとともに、この素晴らしい交流を深化させ、また次に繋げていきたい旨が伝えられた。メンバー全員が同じ思いを持った瞬間であった。その後、無事に目録贈呈が終了。神鋼鋼線工業労働組合に感謝状が贈られた他、メンバー一人ひとりに郡長からはきれいなマルチンの風景写真を、校長先生から先生方が作った切絵が贈られた。


贈呈式の様子

会場は多くの方で埋め尽くされた!

 引き続き、歓迎コンサートへ。ツクトサイハン先生の進行のもと、子どもたちの演武や歌の披露など、小さい子から村の長老までマルチン郡全ての方が私たちを歓迎してくれていることが伝わった。感動の一言だ。特に3月に日本で開催された第2回大好きなモンゴル展で教育施設視察団に(株)鈴木楽器から贈呈された「メロディオン」を使用した合奏を聞いた時には、この交流で培ってきた思いが双方向で通じ合っているなと感じることができた。合奏してくれた曲でオブス県のコンテストでも銀賞をとったようで、自分の子どものことのように嬉しく、そして誇らしく感じた。コンサート終了後、会場中が大きな拍手に包まれ、今回の贈呈式も無事大成功で終えることができた。(細谷仁人)


演武を披露してくれた子どもたち
 

3月に開催された第2回モンゴル展で鈴木楽器殿より
贈られたメロディオンで演奏する子どもたち

絵画展・パネル展


 5月31日、本交流団のメインイベントである図書贈呈式と並行して、絵画展・パネル展が行われた。
 モンゴルとの交流でも恒例となっている絵画展では、SKS労組と神鋼鋼線工業労組の組合員の子どもたちにより描かれた絵画が展示された。母の日の絵、動物園の絵、野球の絵等々、日本の文化が視覚的に分かる絵が並んだ。そして日本語が読める先生に助けを借り、絵画の説明文をモンゴル語に訳してもらい、展示完成。


日本の小・中・高等学校の紹介パネル展示風景

 パネル展では、今年3月にモンゴルからの教育施設視察団が訪れた日本の小学校・中学校・高等学校を紹介するパネルや、これまでの贈呈団が活動してきた軌跡を紹介するパネルが展示された。これらに記載された文章は、日本滞在のモンゴル人留学生により翻訳されており、日本人とモンゴル人の合作である。
 そして展示会、色々な人の手で作られた作品だけあって、たくさんの先生や親子連れ、子どもたちが足を止め、熱心に鑑賞してくれた。
 ここではモンゴルの皆に、体や言葉では伝えられない「日本」を目で見て、感じてもらえたのではないだろうか。(薫伸浩)


会場を訪れた皆さんが見てくれました!

日本の学校紹介パネルを展示しました!


モンゴルの子どもたちの未来のために。
 今年の3月に来日した、モンゴル国オブス県マルチン郡教育施設視察団。そこで教育に取り組む先生方に、教育に対する知識や情熱を持っていただくため、オブス県マルチン郡から3名の先生方を日本に招待し、日本の学校を視察いただきました。
 今回、視察先の各学校にもご協力いただき、学校の紹介や学校周辺地域の紹介、そして視察団が訪問したときの生徒からの感想などをモンゴル語と写真で紹介したパネルを作成しました。モンゴル語は我々の友人である同国からの留学生に協力いただきました。
 これらのパネルは、日本の子どもたちが描いた絵画と合わせて、マルチン郡を含むオブス県の全郡を巡回展示することになっています。今頃はどこの郡に展示されているのでしょうか・・・。

神戸市立広陵中学校(オブス県展示)

淡路市立生穂小学校

創価学園関西創価高等学校


 
神戸市立広陵中学校(マルチン郡展示)

オブス県で展示されている子どもたちの絵画


コチラのページでご覧いただけます→ 子どもたちの絵画


食文化交流



お好み焼きを焼く小野田君
 モンゴルでの食事については、羊肉が中心と聞いていたが、本当にその通りだった。しかも、調味料も基本的に塩くらいしかないのだろうか、姿かたちが違っても味はだいたい似ていた。羊独特のニオイと油っぽさは、苦手と感じる人も数名いる中、僕は何の問題もなくモリモリ食べることができた。海外の食べ物があまり得意でない僕は、出発前は食事に関してかなりの不安を抱えていたが、この旅で自信がついた。モンゴルの皆さんに手厚く歓迎いただいたおかげで帰国した時には3キロ太っていた。
 今回新たな試みとして、日本の食文化をマルチン郡の皆さんに紹介しようということで、お好み焼きを振る舞った(肉は羊を使用)。厨房にあった調理器具をお借りし、下ごしらえをしていると、僕らの手際の悪さを見ていられなくなったのか、もういい、代われ!と言わんばかりに給食のおばさんが僕の包丁を奪い取った。いざ焼いていると、なぜか鉄板のフタを閉めようとしてくるおばさん。どうやら、「片面ずつ焼く」というやり方がモンゴルにはないのか、そんな焼き方じゃあ火が通らないのでは?という心配をしているようだった。フタを閉めようとしてくるおばさんを制し、僕がお好み焼きをひっくり返すと、オーッと歓声が上がった。無事焼きあがったお好み焼きは大好評で、皆さんおいしそうに食べていただいた。そして、久々に味わう日本の味にホッとし、我々にとっても大きな意味を持つお好み焼きとなった。 (小野田草介)


給食のおばさんも手伝ってくれました!

日本のお好み焼きはおいしいですか??


マルチン最後の夜。おもてなしは夜遅くまで続きました!

モンゴルで作ったお好み焼き


モンゴルの人々、大自然とのふれあい

モンゴルの人々とのふれあい


 モンゴルで過ごした時間でたくさんの人々と触れ合った。様々な行事での出会い、途中で寄せていただいた遊牧民の一家、旅の途中で出会う人々、マルチン郡の子どもたち。はじめは、異国の地であり言葉も通じない状況に戸惑いが多く、交流団のメンバーも硬い表情であった。しかし、現地の方々の温かい歓迎、温かい笑顔に次第に不安が消えゆく。現地の人々から「不安」という表情が感じられないのである。お互いに言葉は通じず誰だか分からない中で、どんどんコミュニケーションを図りにくる。モンゴル語で語りかけてくる。分からなければ身振り手振り、表情など全身を使って語りかけてきてくれた。
 大人も子どもも本当に無邪気。先生も大はしゃぎ。暑いし気持ちいいからを理由に急に川や湖にパンツ一丁で飛び込む。
 日本にいて失敗を恐れるばかりで、安心できる場所、小さいコミュニティに依存していたんだなぁと痛感。子どもの頃持っていた無邪気さ、それを今も持ち続けているモンゴルの人々に交流団のメンバーは刺激を受けた。マルチン郡での最終日にはメンバーと郡の先生方と入り交じり肩を組みながら身振り手振りの会話が溢れつつ、母国の国家を歌い合った時間、その場の皆が無邪気な笑顔で微笑む光景は感慨深かった。人との関わり、大きな学びであった。 (藤澤 卓)



大自然とのふれあい


 私たちが初めに「モンゴル」の自然を感じたのは、恐らくマルチン村への道中、ロシア製バンの車窓からの景色ではないだろうか。360°広がる地平線(私は地平線すら生で見たことが無かった)、山など無いはずのところにエアーズロックのような地形が浮かび上がって見える「蜃気楼」、琵琶湖など比ではない! 広大な世界遺産のオブス湖と湖畔で少年に追われる大量の羊の群れ、全てが桁外れであった。


 そして、マルチン村でももちろん自然に圧倒された。夜中に用を足しにゲルを出て、ふと上空を眺めると酔いが覚めるほどの景色が広がっていた。星座がどこにあるかなんて全く分からないほど、空は星で敷き詰められており、本当にプラネタリウムより星が多く感じられた。
 ウランバートルへの帰り道、ヒャルガス湖では、現地の人と肩を抱き合いながら極寒の湖に肩まで浸かった。正直辛く、痛い経験であったが、モンゴルの人とも、モンゴルの自然とも、一体になれた瞬間であった。
 モンゴルの子どもたちが、こんなに広大で穏やかで暖かな自然のなかで育っているのかと思うととても羨ましく感じた。そして「もう二度と来ることができないかも」という気持ちを抱きながら、これらの自然を目に焼き付けた。 (薫 伸浩)

   


オブス県知事 表敬訪問

 6月2日(日)、オブス県のT.ツェンデスレン知事を表敬訪問することとなった。ツェンデスレン知事は、3年前の第3次図書贈呈団訪問時はマルチン郡の郡長だった。今回のメンバーは、皆初めてお会いする方であったが、県知事はこれまでの贈呈団の経緯もよくご存知であるので、非常に親しく迎え入れてくれた。訪問時は、県議長も同席された。お話を聞くと、なんと県議長もマルチン郡出身ということだった。
 県知事への表敬訪問ということだったので、メンバーは初めはとても緊張していたが、話やすい雰囲気を作っていただいて、メンバーからの質問も数多く出て、2時間も懇談することができた。その中でとても印象的であったのは、モンゴル国では、たばことお酒が非常に問題となっているというお話だ。たばこについては、3月に法律が改正され規制されるようになったが、お酒についても県知事は政策を進めたい考えを持たれていた。そういうことで、県知事は禁酒をされていたのだが、そんなことはつゆ知らず、日本から日本のお酒を手土産で持ってきてしまい、とても恥ずかしい思いをしてしまった。しかし、県知事は快く手土産を受け取っていただき、「記念にするよ」とやさしい言葉をかけていただいた。
 次に県知事からは、これまでの活動の功績に対し、オブス県の名誉勲章をデムベレルさんと団長である私に贈呈された。これには、非常に驚いたが、この交流に関する感謝がとても伝わった。その後、メンバー全員が記念品を受け取った。
 表敬訪問終了後、レストランに案内され、昼食もご一緒いただけることとなった。午前中のお話に引き続き、県知事はメンバーのどんな質問にも真摯に答えられ、その知事のやさしさに、メンバー全員感無量だった。(三枝大輔)


終始、和やかな表敬訪問の様子

オブス県庁前で記念撮影
 

名誉勲章贈呈の様子


モンゴルの食べ物・街の風景や人々との交流の様子を
コチラからご覧いただけます
モンゴルの食べ物・街の風景や人々との交流の様子


旅の所感

〈藤澤 卓〉
 海外は、あまり経験無くどっぷり現地の方々と触れ合う経験は初めてでした。相手はモンゴル語。日本語、英語が通じない中で、5/28〜6/4までどの様なことが待っているか、楽しみが大半でしたが不安もありました。その中で感じたことは2つ。
 1つは、「コミュニケーション」。
 会話というのは身振り手振り、表情や声の質でなんとなく理解し合えるということ。初めの頃は正直少し臆病になって会話をすることを渋る部分がありましたが、現地の方と自分だけの状況になった時や子どもたちと触れ合う時間の中で、「こうかも知れない、こう言っているのか?」という思いを相手に身振り手振り表現し伝える様になりました。それは、逆に現地の人々、子どもたちがそうであったから。積極的に会話求め、理解を求め、そして理解をしようとする。自分を押し殺すよりも、失敗を恐れるよりも、当たって砕ける積極性の大切さとそこから広がる繋がりの無限大さを感じ刺激を受けました。
 2つ目は「今後の交流、関わり方について」。
 県知事、県議長、同行していただいたデムベレルさんなどとの会合や雑談の中で、SKSとの交流の中で次のステップも模索していきたいとの話があり、意見交換を行いました。県知事からは経済的関わりや、相互に協力し合いできる物事を望んでいる声が上がりました。当労働組合の基本姿勢である一度きり対応ではなく継続しながら「現地に直接」という理念を守りできる何か、それを考えていかなくてはいけないと感じました。経済的な関わり、それはただ単に「寄付」と云うのではなく農業や植林、水処理などの技術提供なども経済的な関わりかと思います。会社の技術を駆使というような大々的なことではなく、家庭で手軽にできるペットボトル浄水装置や、家庭の残飯を堆肥にするなど、そういった小さな所から広がりを持ち、生活習慣に取り入れられるアイディアが必要と感じます。
 モンゴルではトヨタの旧式のプリウスが人気とのこと。それは構造が簡単なので自宅で充電できる様にモンゴル仕様に改造できるから。
 簡単な仕組みで身近なものを提案できれば、まずはそれを使用。次はその問題点、改良点を見出し自分たちで広げていく、そんな期待が持てるのでは無いだろうか。このことはモンゴルに足を運び肌で感じたメンバーを中心に議論していけば面白い形が生まれてくる、そのような気がします。
 最後に今回の第4次図書贈呈交流団のモンゴルでの経験は、個人としてもとても学びの多い時間でした。初対面、初会話の人もいる交流団のメンバー。見知らぬ土地で、計画通りにならないことが当たり前の中でなんとか形にしていく、答えを探す。本当に貴重な体験でした。日本で恵まれた環境にいることをつくづく感じました。思い通りにいかない、上手くいかない、そんな中で今できることに最善を尽くす意味、全力で向き合うことの大切さをこの経験で教えてもらった気がします。今後の自身にとっても貴重な経験となり、本当に感謝でいっぱいです。ありがとうございました。

〈内田雄大〉
 まず今回、第4次図書贈呈交流団としてモンゴルに行けたことを大変嬉しく思っています。この旅全体を振り返ってみると本当にいろいろな体験ができ、モンゴルに行くことができて良かったと改めて思いました。
 モンゴルに行ってみて感じたことや驚いたことはたくさんありましたが、最初に感じたことは大自然に圧倒されたということです。この自然の凄さには、実際に行ってみないとわからない感動がありました。特に印象に残っているのは、マルチン郡で見た星空です。手を伸ばせば届くのではないかと思うくらい近いところに星があり、星の数も日本ではあり得ない程多かったことに驚きました。写真に残せなかったことは残念でしたが、本当に感動しました。また、日が出ている時間が長いことにも驚きました。暗くなるのが遅く、21時を過ぎても普通に明るかったのが印象に残っています。一日一日がとても長く感じました。
 この大自然の他、モンゴルで見るもの全てに驚き、感動を受けましたが、一番良かったのはモンゴルの人たちと交流ができたことです。スポーツや日本の遊びなど、何をするにしても大人・子ども関係なく、真剣に取り組む姿勢に本当に感心しました。私はバレーボール担当でモンゴルの先生チームと試合をしたのですが、プレイしている人も周りで見ている子どもたちや大人も、真剣に応援したりしている姿がとても印象に残っています。マルチン郡では、前回に行った先輩たちに聞いた通りキャンディーを持って行ったところ子どもたちに大好評で喜んでくれました。しかし、そのキャンディーのゴミをその辺りにすぐに捨ててしまうことが現地の子どもたちにとっては当たり前でしたが、申し訳ない気持ちとこの素晴らしい大自然を守りたいと思う気持ちでゴミ拾いをすることにしました。ゴミを拾っていると一人の女の子が一緒にゴミ拾いを手伝ってくれ、言葉が通じなくても気持ちは通じることが実感できた瞬間でもあり、とてもうれしい気持ちになりました。一緒にゴミ拾いをしてくれた子どもやいろいろな交流を深めることができた子どもたちの笑顔には大変癒され、一生の思い出となりました。
 モンゴルの旅では楽しいことや感動したことばかりではなく、大変な思いもありました。特に私は食文化に馴染めずに苦しい思いをしましたが、食文化だけではなく日本での当たり前の生活がどれだけ贅沢で裕福なものかを実感したとともに、様々なことに感謝をしなければいけないことに気づくことができました。この他にもモンゴルに行ってみないとできない貴重な体験ができ、本当に良かったと実感しています。いろんなことを知ることができ、日本とは違う環境で生活することで、いろんなことを思い・感じることができました。
 これからの仕事や普段の生活の中で、このモンゴルに行って感じた気持ちを忘れず、一人の人間としてもっともっと成長できるように頑張っていきたいと思いました。今回、第4次図書贈呈交流団に選んでいただき、本当に感謝しています。ありがとうございました。

〈薫 伸浩〉
 「自分にどんなことができるだろう」「本当に自分で大丈夫だろうか」、そんな不安と期待を抱きながらモンゴルへ出発。ウランバートルから経由地オーランゴムを経て1時間程度車で走ると不安を消し飛ばしてくれるような凄い風景が現れました。
 360度の草原、地平線、蜃気楼、世界遺産の湖、全てが初めての風景で感動の繰り返しでした。そして砂漠やゲルに立ち寄りながら、道なき道を走ること約半日、最終目的地のマルチン郡に到着しました。
 このモンゴルへの旅で一番心に残っているのはやはりこのマルチンでの交流。子どもたちとの交流では、日本語はもちろん英語も通じない状況でしたが、モンゴル相撲や鬼ごっこといった体の交流から不思議と笑顔が生まれ、笑い声が起き、クタクタになるまで何時間も広場で遊び続け「体一つでの交流」を経験できた気がします。
 また大人との交流は、やはり酒(ウォッカ)です!泥酔状態で相撲を取って顔にアザを作ったり、モンゴル人にオシッコをかけられたり、連日の二日酔いで食事が喉を通らなかったり、様々な過酷な経験をしましたが、これだけ飲ませてもらったということは、それだけ大歓迎を受けたという証!ゲルの中や車での移動中にどこからともなく現れるウォッカの瓶を注いで注がれて、歌い語らい、酒で心を通わすのはモンゴルも日本もやはり同じでした。「トクトーイ(乾杯)!」という言葉は一生忘れません。
 そしてもう一つ感じたのが、これまでの贈呈団とモンゴルとの交流の偉大な歴史です。過去に贈呈した図書やボールが大事に使われているのを見たときは心が温かくなりました。また県知事や県議会の議長、郡長にも直に面会いただき、さらには感謝のしるしとして立派な時計や絵画、写真を団員一人ひとりにプレゼントされたことには非常に驚き、これまでの贈呈団の活動がどれだけ感謝されているのか、肌で感じられました。また、子どもたちの中には「マルチンの建物は古いので、日本に行って建築の勉強をしたい」と立派なことを言ってくれる子どももいて、今後も「国」としてはもちろん「民間の一企業・一人間」として交流・サポートを続けていきたいと感じました。
 最後になりますが、今回私を交流団に選んでいただいた方々、また本当に快くモンゴルに送り出していただいた職場の皆様、本当に有難うございました。お陰様で二度とできないような素晴らしい経験ができました。そして快く迎え親身に接してくれたデムベレルさんをはじめモンゴルの皆さんにもこの場をお借りして感謝、御礼申し上げたいと思います。

〈小野田 草介〉
 6月4日にモンゴルから帰国し1週間余りが経ちました。肉と酒に対する拒否反応(?)も薄まり、すっかり元の感覚に戻っていますが、モンゴルで見たスケールの大きい景色や特有のひどく乾燥した空気など、見たもの感じたことが今でも鮮明に思い出されます。
 最も印象に残っていることはやはりマルチン郡の子どもたちの元気の良さです。校庭では全力で遊ぶし、そろばんを教えると非常に積極的に取り組むし、図書や玩具を贈呈すると我先にと取りに来ていました。我々に対しても怖がることなく自然に近づいてきてくれました。正直、今回の図書贈呈の旅にあたり、組合の代表として参加しているんだという意識があったせいで、私自身どこか力んでいる部分があったのかもしれませんが、子どもたちの人懐っこさがそれをいい意味で取っ払ってくれました。中学生と本気で相撲をした時は、今度はこの代表意識が逆に僕に力を与えてくれました。このような温かい交流ができたのも、これまで長い年月をかけて積み重ねてきた信頼関係があってこそだと思いました。われわれとマルチン郡の関係が、今後さらに良いものになるよう少しでも協力できればと思います。
 また、自分の国の文化や歴史についてもう少し勉強しようと思いました。今回の旅に同行してくださったデムベレル博士やさまざま人々からモンゴルの文化や歴史についていろいろ教えていただきましたが、逆の立場になった時に自分が日本のことをここまで説明できる自信がありませんでした。文化や歴史だけではなく、周りのことを知るのと同じぐらい自分のことを知ることが大切だと思いました。
 図書贈呈とは直接関係ないかもしれませんが、第4次図書贈呈交流団がこのメンバーで本当によかったです。普段は別々の会社や事業所なので、お互いのこともあまり知らない状態で出発しましたが、旅が進むにつれて自然と立ち位置が決まり、うまく調和がとれていったと思います。慣れない食事や居住環境や長時間移動による精神的・体力的に厳しい経験を共有することでなかなかのチームワークを築けたのではないかと思います。
 今回の旅で私自身が感じたことを少しでも周りの人に伝えることによって、この交流の今後の発展につながると感じています。また、このような素晴らしい経験をさせてくださった関係者の皆様に深く感謝いたします。本当にありがとうございました。

〈細谷 仁人〉
 第4次図書贈呈交流団に選ばれたことで初めてモンゴルに行かせていただくことになりました。海外はモンゴルで3ヶ国目になります。旅にはいろいろなトラブルはつきものと思っておりましたが、出発直後、韓国の仁川国際空港で乗り継ぎを実施しようとした時に事件は起きました。関空の免税店で買ったモンゴルの方へのお土産品がパッケージングの不備で機内に持ち込めないというのです。メンバーと話をしましたが、一度韓国に出てパッケージングをし直すことに決め、出国。団員の小野田くんと二人、どうにかコミュケーションを取って梱包をし、みんなの待つ搭乗口へ向かいました。そんなこんなでモンゴルは海外へ行った4ヶ国目の国になりました。
 飛行機から大草原を眺め、大興奮しながらウランバートルに到着しました。モンゴル国の人口の60〜70%を占める大都市ウランバートルは建設ラッシュであり、ランドクルーザーやレクサスなど高級車で溢れかえっていましたが、道路の整備状況は悪いということが印象的でした。開けっ放しのマンホールや、大きく陥没しているのに補修されていない舗装道路、突如あらわれる車道上の大きな水たまり(前日に季節外れの雪に見舞われたことでできていたとのこと)など、日本ではなかなか見慣れない光景でした。
 翌日はマルチン郡のあるオブス県に移動へ移動。ウランバートルから飛行機で3時間、県都ウラーンゴムへ到着しました。ウラーンゴムでは学校(モンゴルでは小〜高まで一貫)を視察、算数や理科の授業を見学させていただきました。その後、生徒たちによる伝統的な踊り、馬頭琴の演奏や歌など、大変温かい歓迎を受けました。3月にモンゴルから教育施設の視察団メンバーの一員として来日されたヤダムスレン社会開発課長から、「マルチン郡への図書贈呈により続いている交流を更に広げて、オブス県全体への交流に深化させていきたい」という言葉をいただき、諸先輩方が築き上げてきたこの交流が、年々より深い絆になってきているなと強く感じました。
 でも、やはり一番の思い出はマルチンの方々との交流です。360度、大草原の道なき道を車で走り、行く先々で大歓迎を受けました。素敵な笑顔で心温かく迎え入れてくれるマルチンの人々、絶景の大自然などモンゴルに魅了され、すぐにモンゴルが大好きになりました。言葉はわからなくても、音楽やスポーツで交流することで、すぐに気持ちが一つになるということも実感しました。マルチン郡の郡長は「北国の春」のメロディーが好きだったようで、郡長が演奏するギターにあわせて僕と団員の丸山くん(神鋼鋼線労働組合)が歌を歌うと本当に喜んでくださり、お見送りに来ていただいたヒャラガス湖の湖畔でも肩を組んで合唱したことが忘れられません。その後、マルチンからウランバートルに戻って来ると、入国時はあんなに悪いと感じていた道路も本当に快適だなと感じたことも印象的でした。
 最後に、心温かく迎え入れていただいたものの、正直食文化の違いなどにより、苦しい時もありましたが、図書贈呈交流団のメンバーが心を一つにしたことで、この苦しさが逆に楽しさになり、人生の宝になったと感じています。みんな本当にありがとう!!
 また、このメンバーに選んでいただいた組合員の方々、多忙にもかかわらず快く送り出していただいた職場の皆様に対して、心から感謝いたします。ありがとうございました。

〈丸山 聡・神鋼鋼線工業労組〉
 「やっぱり日本はいいところだ。」帰ってくるとそう感じました。この旅を終えて感じたことの一つに「住み慣れた環境のありがたさ」があります。どこに行っても水がでる。電気がある。トイレがある。普段は仕事に時間をとられていると感じていても、仕事があり、働けること自体がありがたいのかなぁと感じました。
 また、食についても和・洋・中、他にも様々な料理が世界中から集まっている日本では選びたい放題ですがマルチンでは毎食が羊肉で、同じものを食べ続けるということも大変でした。食べ慣れない羊、寒い地域なので脂ののりが良くとても苦労しました。
 他にも、オブス県知事の政策では酒・たばこを禁止すると言われておりましたが、マルチンは基本的にウォッカです。アルコールハラスメントというのが定着しだした日本ですが、モンゴルではそうでもないようで、きつい酒を大量にあおるということは健康に悪い。無理に人に飲ませることへの罪悪感はないのか?というのも感じました。
 スマートフォン、デジタルカメラを使って遊ぶ様子も目に焼き付いています。折り紙をした際も中学生くらいの年齢の子どもたちが、一生懸命に取り組む姿は日本では見られない光景でした。とても頼りにしてくれるので、とてもうれしく感じたのと同時に不思議な気持ちにもなりました。
 モンゴルでは時間が非常にゆっくりしており、約束の時間もだいたいということについても考えさせられました。日本が非常に時間に厳しい国というのもあるかもしれませんが、その国に生きている人間から他の国を見るととてもルーズに感じます。
 違った文化に触れることで、日本で生活していることを客観的に見ることができ、とてもいい機会となったと思っています。普段の生活の中ではなかなか違った視点から物事を見ることができていない様に感じます。何かに行き詰まった時や、生活にゆとりがないと感じたときなど一歩外に踏み出て、物事を考えられるような余裕を作れるよう今後、工夫して生活していきたいと感じました。また、海外に行くと英語を話せるようになりたいと感じます。今回の旅で勉強する意欲がわいてきたので、とてもよかったと思います。
 旅の途中、羊肉とウォッカで荒れた胃に追い打ちをかける車での悪路走行でかなりダウンしたり、荒野のど真ん中で車がパンクしたり、後続車がいくら待っても来なかったりと「どうなるのか?」と思いましたが、なんとか無事に帰ってくることができてよかったです。
 団長はじめ図書贈呈交流団の皆様、大変お疲れ様でした。

〈山田将太・神鋼鋼線工業労組〉
 ご安全に!
 第4次図書贈呈交流団に任命され、人生初の海外渡航として訪れたモンゴル国で見たもの感じたことを紹介したいと思います。
 モンゴル国の首都ウランバートルに到着し、まず車の多さにびっくりしました。移動は馬ってイメージでしたからね(笑) 町も普通に栄えており、建設中の高層ビルなども多く見られたことが衝撃的でした。
 2日目には小型の飛行機に乗り、ウラーンゴムに向かいました。首都を離れ数分もすると機内から見えた景色は、想像していたモンゴル国の大草原が広がっていました。
 ウラーンゴムのホテルで宿泊し、翌朝この旅で一つ一つの出会い、人への感謝を感じることができたマルチン村へ移動することになりましたが、その道のりは車で約5時間! これが大変で、道なき道を走る際、自分の体を支える腕が筋肉痛になるぐらいでした。途中2ヵ所のゲル(遊牧民)に寄るとそこでは私たちを大歓迎してくれたことに感動しましたが、大歓迎の先には、噂で聞いていたあのウォッカが! モンゴルでは一つの器で回し飲みする習慣があり、モンゴル流の儀式を行い「トクトーイ!」(モンゴル語で乾杯の意味)。飲み終えるとまたすぐに私のところへ・・・。これが出発前に前回の第3次贈呈団に参加した先輩の東さんと近藤さんから伝え聞いていたことだと体をもって感じることができました。言い忘れていましたが、モンゴル国の主食である羊肉は、見た目通りデリケートな私(笑)には癖が強く、慣れるのには時間が必要でした。
 マルチン村に到着してからは、図書贈呈や交流会と様々なイベントがありました。その中でも印象に残っているのが、先生チームvs第4次図書贈呈交流団チームのバレーボール対決です。真剣に戦ったからこそ印象強いのもありますが、メンバーで一丸となり、勝利という目標に向かって声を出しあったことで一つになれた気がしました。結果は、ウッチーさんのおかげで、もちろん勝ちました!
 私の感じたモンゴルの子どもたちは、いろいろなものに興味津々で男の子はパワフルな印象。女の子は少し照れ屋さんな印象でした。言葉は通じなくても身振り手振りで伝えようとしてくれることで純粋な子どもたちの表情に感謝し、様々なことを学ぶことができました。
 そうそう、マルチン村の小学校で忘れることのできない事件があったのですが、急な腹痛に襲われ野外のトイレに駆け込むとドアがちゃんと閉まりません。慌てて向きを変え手でドアを掴んでいるとその手が放れた直後、風でドアが・・・。そこにいた中学生ぐらいの女の子が、「キャー!!!」っと大声で叫び、思わず私も「ギャー!!!」っと叫んでしまいました。日本では一生できないであろう経験をすることができました。
 まだまだ日本にいると想像もできない経験をたくさんしましたが、この交流団を通して人の温かさ人への感謝。また、社会貢献活動の必要性について、何が求められているのか何ができるのかを考えさせられました。今回、貴重な体験をさせていただいたことに感謝しています。最後に、良きメンバーに出会えたことと、お世話になったモンゴルの全ての方々にも感謝の気持ちでいっぱいです。本当にありがとうございました。ご安全に!