「あなたとは何か?
      環境とは何か?」
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神戸市立須磨海浜水族園   
園長 亀 崎 直 樹


はじめに


 みなさん、ようこそ須磨海浜水族園にお越し下さいました。今日は、夜の水族園で大いに楽しんでください。水族園をご覧いただく前に、少し楽しくてアカデミックな話をしてもらいたいとの要望を受けたので、「あなたとは何か?環境とは何か?」というテーマで話をさせていただきます。
 まずは、なぜ私が水族園の園長をしているのかということを、生い立ちも含めて少し紹介したいと思います。
 私は、1956年に愛知県豊橋市で生まれました。父親が銀行マンだったため、各地を転々とする生活でしたが、堺市に住んでいた頃の思い出が強く、当時は高校生で、大阪府立市岡高校という学校に通っており、海が好きで毎日海岸べりを眺めて過ごしていました。やがて高度経済成長の開発により、その海岸が埋め立てられ、湾岸工業地帯としてコンビナートが次々と建設されていき、自分の大切な物が壊され姿を変えていくことがとても嫌で仕方がなかったという思いを抱いていました。
 1975年に高校を卒業し、子どもの頃から水族館の仕事に就きたいと考えていたことから、鹿児島大学水産学部に入学し、鹿児島でひとり暮らしをすることになりました。父親は、自分と同じ銀行員か、そのような堅い仕事に就いて欲しかったのか、鹿児島大学に行くことには反対で、大学時代は半ば勘当状態でした。
 1979年に鹿児島大学を卒業後、水族館の仕事を探していたのですが、なかなか仕事の口がなく、当時、名古屋鉄道株式会社が水族館を作るという情報を耳にして、名古屋鉄道株式会社の面接を受けに行きました。面接では「水族館での仕事がしたい!」とアピールし続け、「こいつ変わった奴やけど、なかなかバイタリティあるな」と思われたのか、なぜか入社試験に合格し、晴れて名古屋鉄道株式会社の社員になることができたのです。
 ところが、初めから希望している水族館の仕事に関わることができるわけもなく、当然ながら、鉄道部門に配属されて電車の車掌などをやることになりました。電車の仕事などには全然興味がなく、完全に駅名を覚え切れていない、ある意味ウソつき車掌で、駅名をよく間違えたものです。



研究員としての生活のスタート


 そうして車掌勤務を黙々とこなしていた中で、水族館の仕事がしたいと願い続けていた情熱が伝わったのか、沖縄の八重山諸島にある(財)海中公園センター八重山研究所に研究員として出向するという話が持ち上がり、家族で八重山まで移り住むことになりました。
 こういうと希望が実り、華々しく研究者としてのデビューを果たしたように聞こえますが、実は金食い虫の研究所を2年の内に閉鎖することが使命であり、そのための整理をするということが私のミッションだったのです。
 この八重山研究所は、日本の最南端にある波照間島から北へ3つめになる黒島にあります。西に西表島、東に石垣島があり、当時は、人間200人に対して、牛が2000頭、テレビはNHKしか映らず、石垣島からのフェリーが唯一の交通の手段になるようなへんぴな田舎でした。当然、商店や食堂もないようなところで、着任する前は周りから「生活するには大変なところだ」と脅されて来たのですが、本当にその通りの島でした。
 研究員は2名の小さな所帯で、その一員として加わったものの、2年間で研究所を閉めるということが使命という、複雑な思いでした。
 この(財)海中公園センター八重山研究所は、1973年に石西礁湖の海中公園区域の管理と利用のために、(財)海中公園センターのもとに設立され、ウミガメやサンゴ礁に関する調査・研究を継続してきました。
 最初の1年間は閉鎖するつもりで動きましたが、物事を止めるというのは大変しんどい仕事で、頭を下げ回ったり、辛いことも多くありました。しかし、研究内容や資料類を見てもなかなか立派な研究所で、閉鎖するにはあまりにも惜しいと考えるようになり、2年目からは存続に向けて努力をしていました。その努力の甲斐もあり、結果的に研究所は存続することができ、結局4年間、この研究所で研究を続けることができたのです。



熱心に聞き入る参加者



 ちなみに、この(財)海中公園センターは2002年3月に約30年間にわたる研究の役割を終え幕を閉じましたが、この研究所に限っては各方面から存続の要望が出され、NPO法人日本ウミガメ協議会がその活動を引き継いでいます。そして、2004年からは黒島研究所に改名し、これまでの調査・研究活動に加え、教育・普及活動への更なる重点化と、研究者や学生の他、一般社会人や子供たちの利用を促すことにより、一層の地域への貢献を目指しています。
 この黒島での生活は、先ほど話をした通り何もない田舎での生活でしたが、妻子を伴い家族で移り住んできました。何もない生活というのは、お金を使う商店もなく、お金をおろす銀行もない。食料はどこかしら近所の人が持ってきて分けてくれるし、子ども達の遊ぶ場所は海や山といった大自然ということで、給料をもらってもまったく使うことがなく、結構なお金を蓄えることができました。
 こうした背景もあって、本腰を入れてウミガメの研究に取り組みたいと思うようになり、最終的には名古屋鉄道株式会社を退職し、蓄えたお金を元に研究者としての道を歩み始めたのです。



亀崎氏がかつて勤めていた黒島研究所



NPO法人日本ウミガメ協議会の設立へ


 意気揚々とウミガメ研究者の道の第一歩を踏み出したのですが、ウミガメという生き物は大海原に生息しており、その研究というものは研究機関という組織を離れると非常にお金がかかるということが分かり、十分潤沢にあったと思っていた蓄えも徐々に目減りしてきたことから、何か生活の糧を得る手段を講じなければ家族が飢えてしまうという危機感を持ち、一時期は塾の講師などで賃金を稼ぎながら、ウミガメ研究を続けました。この塾の講師というのはなかなか割の良い職業で、授業の時間を研究に当てることができ、なおかつ金銭的にも実入りの良い職種で、結果的にこの塾の講師時代が一番たくさんの給料を得ていたかもしれません。
 肝心のウミガメ研究ですが、厳密に言うと研究者の仕事には「調査」と「研究」の二つの仕事があり、「調査」とは、どこで生まれ、何を食べ、どこで生活しているのかといった、ウミガメの生きる仕組みを調べることであり、「研究」といえば、身体の構造などウミガメそのものを調べるもので、私のやりたかったことは、まさに「調査」でした。
 そして日本には、ウミガメの調査を主として情報交換を行う組織がなかったことから、仲間たちと一緒にNPO法人日本ウミガメ協議会という組織を立ち上げ、言い出しっぺということで会長に祭り上げられてしまったのです。
 現在の肩書きは、東京大学大学院農学生命科学客員教授、京都大学大学院地球環境学舎特任教授、そしてこの須磨海浜水族園の園長という肩書きをいただいていますが、これらも、自ら欲して得た役職や肩書きではなく、好きなことに打ち込んできた中で、周りから声をかけられいつの間にか今の姿になっていました。
 東大の教授になったのもウミガメの研究で訪れた沖縄で、偶然バスに乗り合わせたおじさんと意気投合し、仲良くなったところ、実はこのおじさんが東大の教授で、知り合った翌年に学部長になり、「君は准教授(当時)になりなさい」と声をかけていただいたことがきっかけなのです。



静寂な夜の大水槽前で



環境変化に気づかされた砂浜の変化


 ここで、3枚の写真を紹介しましょう。これは、わたしが定期的に訪れて毎日のように歩いていた海岸の写真です。変わった形の岩で分かるように、3枚とも同じ場所で同じアングルから撮影した写真ですが、明らかに海岸線が違っていることが分かると思います。潮の満ち引きで、このようになっていると見えますが違います。実は、これは海岸線が後退してきているのです。
 これほどの変化なのに、毎日のように歩いていた私はその違いに気づくことができませんでした。あるとき何気なく、白浜がもっと奇岩の縁まであったのではなかったかな?と疑問に思い、写真を並べて見比べて愕然としたのです。
 自然環境というものは、徐々に変化していくと、感心を持って毎日見続けている目をも欺き、いつの間にか大きな変化になってしまっている。そして、気がついた時には元には戻らないということを思い知らされました。これはひとつの例ですが、私は実体験としてそのことを学んだわけです。



自然環境の変化に愕然…



環境とは?


 さて私個人の話はここまでにして、これからは、「あなたと環境」という切り口で考えていきたいと思います。
 みなさんは、神鋼環境ソリューションという企業にお勤めのエンジニアたちですが、みなさんにとって環境とはどういったものでしょうか?
                (会場より、「水質汚染!」の声)
 水質汚染という声がありましたが、ずいぶんと硬直的な意見ですね。みなさんは若いのだから、もう少し柔軟な発想で物事を考えないといけないですね。

階層の輪
 この「環境とは?」という問いについては、後ほど答えていきますが、まずみなさんには「生物学とは階層を理解する学問である」ということを知ってもらいたいと思います。生物学でいう階層とは、基本的なパーソナルである「個人」を始めとして、その輪を広げていくと次に「家族」、そして「国家」、続いて種としての「人類」、全ての生き物としての「生物群集」、そして最後に生物と環境で構成される「生態系」と分類することができます。反対に、輪を小さくしていくと、個人の次は心臓や筋肉といった「器官」があり、次にその構成体である「細胞」、そしてDNAやタンパク質といった「分子」となります。分子以下では原子や中性子、素粒子などに分類されますが、生物学的にはそこまでの仕分けは何の意味もないので、DNAまでで留めておきましょう。
 こうした分類から分かる通り、「生態系」とは「生物+環境」であり、「生物」と相対するものが「環境」ということなのです。つまり、環境には生物という概念は含まれないということなのです。
 すなわち「環境とは?」という問いに対する答えは、『森羅万象の内、生物以外のものを指す』のです。

ここで言う森羅万象とは、生物学的には生態系と言い換えることができ、生物群集(Community)+環境(Environment)ということです。

 ここで階層の話に戻りますが、あなたという存在は「あなた個人」と思いがちですが、心臓という器官もあなたであり、細胞もあなたなのです。反対に目を向ければ、家族もあなたであり、国家もあなた、そして生態系もあなただと言えるのです。



階層にはいろいろあり、階層を理解することが大切



階層別の闘争例


 ここで、階層別の闘争について、分かり易い例を紹介しましょう。先ほど黒島の生活で話をした通り、私には妻がいます。結婚した当初は、この妻と価値観の違いでよくケンカをしました。私は水族館に勤務しています。常に魚を扱う仕事であり、必然的に生臭いにおいが身体にこびりついています。この臭いに釣られて、ハエが寄ってくるのですが、仕事から帰宅するとそのハエが私について家の中に入ってきます。すると奥さんは、私に勢いよく殺虫剤を振りかけてくる。私の方は「何で帰って来るなり、旦那に殺虫剤を振りかけるのだ!」とケンカになるわけです。
 ここで何が言いたいかというと、「家族としてはハエは嫌だ」、私の細胞は「殺虫剤は嫌だ」ということで、「細胞」という階層と「家族」あるいは奥さんという「個体」の階層間の価値観の争いだということを理解して欲しいのです。そして、階層間の争いは、価値観が同じにならない限り、決着はつかないということです。
 たとえば、あなたというものを、先ほどの定義で、小さくは細胞やDNA、そして大きくは生態系まで広げて考えると、ハエを殺すことに殺虫剤を使うことはないし、そもそもハエを殺すことはないのです。これは分かり易い例で、極論であり、ハエを媒体とする病原体の人類への影響については十分理解しているので、誤解しないようにお願いします。
 同じような階層別の考え方で、今日本で注目をあびている原子力発電問題と消費税問題について考えると、原子力発電問題はDNA、個人、生物群集のさまざまな階層にとって重要な問題ではあるが、消費税問題は日本人にとっては重要な問題であるだけでその他の階層にとってはどうでもよいことが分かるでしょう。




参加者に語りかけるように話す亀崎園長



ま と め


 環境ソリューション企業の若手社員ということで、少し取っつきにくい話もさせてもらいましたが、最後にこれまでの話のまとめとして3つの観点を紹介し、今回の話を終えたいと思います。
 まずひとつめは、「環境とは、すべての生物階層を育むものでなくてはいけない」ということです。環境とは生態系の内、生物以外のものを指すのでしたね。ということは、環境は全ての生物階層を生かし守って育てていくゆりかごのようなものでなくてはいけません。
 つぎに、「あなたには色々ある。すべてのあなたの価値観を理解したヒトが真の教養人である」ということです。細胞、国家、生態系などの様々な階層があり、それぞれに価値観がありましたね。そのすべての価値観を理解し、いかなる階層もあなただと言えるということを理解しましょう。
 最後に、「勇気を持って価値観をシフトしよう」ということです。個人の価値観と会社の価値観は同じとは限りません。あなたが個人の価値観に囚われず、会社の価値観との違いも許容し、それよりも大きな規模の価値観を理解した時に、それまでの価値観ではなく新しい価値観に勇気をもってシフトしてください。
 環境を生業とするあなたたちに対し、この3つのことを伝えることができれば、私の今日の講演の目的は達成されたと思います。最後までありがとうございました。



夜の大水槽前で記念撮影



講師プロフィール
亀崎 直樹
須磨海浜水族園 園長

1956年愛知県豊橋市生まれ。1979年鹿児島大学水産学部卒業後、名古屋鉄道株式会社に入社し、水族館の企画運営に携わった後、財団法人海中公園センター八重山研究所に研究員として出向。その後、京都大学大学院人間・環境学研究科で学位を取得。現在は、神戸市立須磨海浜水族園園長、NPO法人日本ウミガメ協議会会長、東京大学大学院農学生命科学研究科客員教授、京都大学大学院地球環境学舎特任教授などを兼務する。専門はウミガメを中心とした海洋生物学。特にウミガメの生物学とそれを取り巻く環境の成り立ちを明らかにすること。市民を含む多くのヒトが関わってウミガメの生態を解明するジグソーパズル型の学問スタイルが構築できないかと考えている。趣味は地方のひなびた飲み屋街で昔話を聞きながら飲むこと。主著に「イルカとウミガメ」(岩波書店)、「現代を生きるための生物学の基礎」(化学同人)などがある。