エネレル子供センター
創立15周年記念式典に参加して

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本社ブロック ユニオン委員 
石 井 宏 樹


 私たちユニオンのメンバーが、エネレル子供センターを初めて訪問したのは本年(2007年)5月のことです。オブス県への第二次図書贈呈団としてモンゴルを訪問した大野団長を中心とした6名のメンバーが、その前半の日程を使い訪れました。ツエルマー園長との懇談や子供たちとの交流など短期間でありましたが有意義な訪問となりました。この時の様子については本誌Vol.50に詳しく紹介されましたが、このエネレル子供センターから8月4日に開催される創立15周年記念式典への招待状が届き、ユニオンの代表として同センターを訪問してきました。


モンゴル初の
民間児童養護施設として設立

 エネレル子供センターは、1992年モンゴルが社会主義から自由経済へ移行する混乱期に急増した、ストリートチルドレンの窮状を見かねた元芸術教師のフレルバートル夫妻が設立した、モンゴル国内では初の民間児童養護施設である。近年は80名から100名の子供たちが常時在籍し、自給自足の達成に向けて伝統的な牧畜と先進的な有機・無農薬の野菜類の栽培に取り組んでいる。一方、教育面では能力を持つ子供には大学などの高等教育への道を開き、また社会に適応するための職業指導にも力を注ぐなど、質素ながらも着実な成果を上げている。創立から15年の間に、約400名の子供たちがこのセンターから巣立ち、社会人として、また家庭を持ちモンゴル各地で頑張って暮らしている。


ウランバートルから
12時間の夜行寝台での旅

 エネレル子供センターのあるエルデネット市は、モンゴルの首都ウランバートルから北西約400キロメートルに位置する。5月に訪問したメンバーは、道なき道ともいえる草原のハイウェーを車で走ったが、今回はウランバートルからモンゴル第二の都市であるダルハンを経由してエルデネットに向かう夜行寝台列車で行くことになった。午後8時過ぎのウランバートル駅はまだ明るく、ホームは列車に乗る多くの人たちで賑わっていた。訪問団のメンバーは、センター設立当初から支援を行っている報道カメラマンの三多さんを団長に、日本から参加したサポーター4名と私、の計6名。これに式典で演奏を行うためにボランティアで参加することになったモンゴル民族音楽団「イフ・カザル」のメンバー6名が加わり、総勢12名となった。我々の席は、上下の寝台が向き合ったコンパートメントでクラス的には日本でいうグリーン車といったところか。出発とともに日も暮れて、早速持ち込んだ缶ビールで宴会が始まった。参加者の一人がバックパッカーギターという小型のギターを持ってきて歌い始めると、馬頭琴奏者のビールワンくんも馬頭琴を取り出し、客室でミニコンサートが行われた。途中のダルハン駅でかなりの時間停車するとのことで、売店でアイスクリームを買おうと言っていたにもかかわらず、全員爆睡状態で往路での途中下車は叶わぬ夢となった。


夕暮れのウランバートル駅から列車に乗り込む

客室では日本語とモンゴル語の入り交じった懇談が


子供センターに
初めて電気が通った日

 朝日とともにエルデネット駅に到着した我々は迎えの車に分乗し、小一時間の道のりを一路エネレル子供センターへ。センターでは翌日の式典を控えて、バンガローや施設のペンキ塗りと飾り付けが職員や子供たち総出で行われていた。またこれまでは小型の発電機を使って最低限の電気しか使えていなかったが、地元の電気工事会社の協力により電線が敷設されることになり、それぞれの建物への電線のつなぎ込みが急ピッチで行われていた。配電盤から各施設への電線は、地面を掘って埋めていくという実にシンプルな工事だったが、思わず私もスコップを持ち、飛び入り参加をすることになった。最初は「こいつ誰や」と怪訝な顔で見られていたが汗をかきながら掘削を続けていると向き合っての共同作業も始まり、仲間の一員として認知されるようになった。20メートルほどの敷設がようやく終わった頃には一緒に水でも飲めと、たらいに入れたお茶をみんなで廻し飲みした。「ミニ・ウルルン滞在記」さながらの良い思い出となった。それぞれの電気のつなぎ込みも日没までに終わり、その日の夜は新しく建てられたゲストハウスはもちろん、数は少ないが街灯にも灯りがともり、初めて子供センターに電気が通じた日に居合わせて、その工事の手伝いもできたことを感慨深く思った。

式典を前に大急ぎで建物のペンキの塗り替えと飾り付けが行われセンターには活気が溢れていた


ミニウルルン滞在記となった電線敷設工事

前日に完成したゲストハウスにも灯りがともった


卒業生も家族とともに参加。
盛大に式典が

 いよいよ15周年記念式典当日の夜が明けた。天気は快晴、どこまでも青空が続く。前夜から参加者の車が何台も草原の彼方からやってきた。ウランバートルからモンゴル国営テレビの取材クルーや多くのサポーターも駆けつけたが、その多くはセンターの卒業生たちであり、結婚して子供も連れて記念のプレゼントを車に積み込み集まってきた。家族とともに誇らしげに車を降りる卒業生と迎える園長先生のうれしそうな顔がまぶしく輝いて見えた。
 午後1時過ぎ、センター内のバスケットボールコートにて音楽教師であるハスバートル先生の指揮により、子供たちで編成されたブラスバンドのモンゴル国家演奏で式典は始まった。在籍する子供たち全員と多くの来賓が見守る中、当センターの園長であるツエルマー氏の挨拶が行われた。園長はこの15年を振り返り、当センターの支持者に感謝の言葉を述べた。途中でセンターの子供たち、職員が前園長(創設者)に黙祷を捧げる場面があった。ちょうどこの会場の正面の丘には前園長の墓石があり、今でもセンターの子供たちを見守っているように見え、感慨深いものがあった。

モンゴル国歌の演奏で式典は始まり、多くの来賓が見守る中、子どもたちの入場行進が

 その後、子供たちによる民族舞踊や歌が野外ステージで披露され、和やかな雰囲気でイベントは続いた。イベントのクライマックスは卒業生たちから園長先生へのプレゼント贈呈と挨拶であり、「新しい家族とともにここへ帰ってきました。私はここで過ごした日々を誇りに思います。このお金をセンターの子供たちの学費として活用してください。」といった挨拶に園長も涙を浮かべながら聴いていた。プレゼントを受け取った後、園長は式典参加者に対してお礼の言葉を述べた。「今ここに15年前に入園した人、近年入園した人みんなが集まっています。どんなに時が経ってもみんな私の子供です。卒業生が一人立ちし、社会で立派に活躍してくれていることが私の誇りです。私はモンゴルで一番の宝物を持つ幸せ者です。子供たち、みなさんありがとう。」と声を詰まらせていた。
 また、子供たちの絵画や手作り作品の展示コーナーも設けられ、その一角に日本から持参した「オープンハウス要録集Vol.50」がおかれ、多くの人が手にとって写真を見ながら私たちユニオンの活動に賞賛の言葉を贈ってくれた。


卒業生から花束を授与されるツエルマー園長

練習を重ねこの日を迎えた歌舞団の踊り
   
子どもたちのさわやかな演技に喝采が送られていました
   
取材に来たマスコミにもユニオンの活動は賞賛されました

 子供たちの手作り料理による立食パーティを経て、記念式典はいったん終了したが、夜になって再び野外ステージでアトラクションが行われた。我々と同行したイフ・カザルによるモンゴル民族音楽の演奏はもちろん、ゲストとして出演したモンゴルの人気歌手であるエルデネ・ツェツェグさんのステージは観客を魅了する素晴らしいものだった。星空の下で行われたコンサートも、日付が替わる頃に花火が打ち上げられお開きとなった。

   
イフ・カザルの演奏、
そして人気歌手エルデネ・ツェツェグさんの熱唱。
夜が更けるのも忘れてダンスタイムが続いた


車窓から天の川が。
銀河鉄道でウランバートルに戻る

 エネレル子供センターで過ごした3日間もあっという間に過ぎ、ウランバートルに戻る時がやってきた。昨日までは式典の準備と多くの来客とで、日常とは異なる賑やかでちょっと緊張した雰囲気が漂っていたセンターも、無事式典を終えた安堵感とともに普段どおりの雰囲気が戻ってきたように感じた。草原でサッカーボールを蹴る子供たちに近付くと自然にその仲間に加わることができ、言葉は通じないものの笑顔で会話できたように感じた。こんな時間がもう少しあれば良いのになと思いながら、もう出発の時間が迫ってきた。
 センターの子供たち全員が広場に集まり、我々を見送ってくれた。初めはみんな笑顔だったが、いざ車に乗り込み本当に別れが迫ってくると一気に寂しさが込み上げ、涙が溢れそうになった。
 エルデネット駅に着くと、休む間もなく出発時間の迫った列車にバタバタと乗り込んだ。夕食は食堂車で草原に夕日が沈むパノラマのような景色を眺めながら取る。決して豪華な料理ではないが最高の景色の中、楽しい仲間達との一時は贅沢な時間であり、まるで「世界の車窓から」の出演者になった気分だ。日没後は車窓から満天の星空を眺める。エルデネットに来てから快晴の日が続き、この日で4度目の満天の星空を観ることができた。モンゴルでは空全体に星々が散らばり、時折あらわれる流れ星はまるで音を立てて空を駆け抜けていくようにはっきりと見えた。車窓からはちょうど天の川が観え、まるで銀河鉄道に乗っているような気分になった。今度こそダルハン駅でアイスクリームをと往路で果たせなかった目標を達成すべく、猛烈な睡魔をウォッカでごまかしながらダルハン駅までの道のりを耐えた。降り立ったダルハン駅のホームには深夜であるにも関わらず人が溢れ、オリエンタルな雰囲気がなま暖かい熱気とともに漂っていた。


草原に沈む夕陽を車窓から眺めながら

人の顔にどこか懐かしさを感じたダルハン駅のホーム


式典の翌日、センターの子どもたちに日常の生活が戻ってきた。バスケットボールやサッカー、そして散歩をする小さな子どもたち。年長の子どもたちは作業を。丘の上にのぼると創立者であるフレルバートル先生のお墓がセンターを見守るように立っていた。その周囲には数え切れないほど様々な小さな花が。きっとセンターの子どもたちもこの花たちのように自分らしく咲き成長していくのだろう