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世界の子どもにワクチンを 
日本委員会(JCV)     
代表 細 川 佳代子


は じ め に

 神鋼環境ソリューションの皆さん、ご家族のみなさん、こんにちは。
 今日は週末の土曜日で、ゆっくりご家庭でお休みするところ、こうしてJCV フォーラム in KOBELCOへお越し頂き、本当に有難うございます。また、会社のご理解を頂いて、そしてユニオンの実行委員の皆さんが、全て準備くださって開催することができて本当に感謝します。まずは、スタッフの皆さんにお礼を申し上げます。
 最初に、私がテーマに上げております「ボランティアの私」と言うことで、まず、私たちの活動について紹介する前に「ボランティアって何だろう?」って、少し皆さんと考えてみようかと思います。
 皆さんのなかに、子供の頃からボランティアに興味があって、生活の一部としてずっと続けて何かやってきたっていう方、手を挙げてもらえますか?(誰も手を挙げない)手を挙げたら、何か言わなくちゃいけないと思って、ボランティアをしている人も手を挙げれないんじゃないですか? 日本人の特長ですね。欧米社会では、ちょっとでも経験があれば、必ず手を挙げる人が出てくるんですよ。


なかなか手を挙げない典型的な日本人である参加者


『の』と『と』の違い

 では、なぜ、『ボランティアの私』というテーマをつけたか、お話します。講演会ではこのテーマで、よく講演する機会があるのですが、会場へ行ってみると、講演テーマが『ボランティアと私』になっています。主催者の方が、きっと間違っているのだろうと判断されて、『の』を『と』に変えてしまっているんです。この『の』と『と』の違いって皆さん分かります? 当てませんから、なんとなく分かる人、手を挙げてください。(会場から笑いが起こり、手を挙げる人が数人)だいぶ、手が挙がってきましたね。
 どうして私が『の』にこだわるのかと言うと、川端康成さんがノーベル文学賞を受賞したときの講演テーマとしてあげた『美しい日本の私』という言葉をある新聞で見たからです。30年ぐらい前のことです。ひょっとしたら、会場の皆さんの中には生まれてなかった人もいるんじゃないかしら?私が見た新聞には、この受賞講演の生原稿をそのまま掲載していました。『美しい日本と私』と書いた『と』の文字にわざわざバツ印を入れ、横に『の』と訂正しているのです。何で『の』なんだろうって考えましたが、答えはその原稿の序文にありました。永平寺の開祖である道元禅師の詠歌のひとつ『はるは花、なつほとゝぎす、あきはつき、ふゆ雪さえて 涼しかりけり(傘松道詠集より)』を引用し、この歌に表わされている四季の移り変わりがある日本の美しさを称え、この日本に生まれ育ったからこそ川端康成がいるのだと書かれていました。日本の四季の自然の美しさに対して感謝する想いに心を込めた講演文だったのです。日本のような四季を持つ国は、そう多くありません。私たち日本人は、余りにも身近にありすぎて改めて日本を美しいと感じてはいませんが、川端康成は、そんな日本の美しさが、どれだけ人間の感性や美的感覚に影響するかを掘りさげることで、自分の存在を考えた人だったのです。
 そんな川端康成の気持ちが伝わって感激した私は、改めて、『と』と『の』の違いが分かったのです。『の』だと一体で同じなのです。『と』だと別個のもので対比するのです。日本の自然があるから川端康成がいる。『美しい日本』と『私』は、一体なのだと。


人として当たり前のこと

 実は、私のボランティア活動暦は、63年になります。ボランティアって、『さあ皆さん、今からボランティアしましょう!』と、言ってできるものではありませんよね。ボランティアって本来、人間として生まれたからには当たり前の事なのです。でも、悲しいかな、日本という国は変わってしまいました。自分中心に、一人ひとりが考えるようになってしまったのです。自分の人生の事だけで精一杯。人の事なんて考えていられない。ひたすら高学歴を目指して勉強し、良い会社へ入って良い地位を得て、お金を沢山儲けて大きな家に住むことが良い人生だと思っているのです。人間本来の生きる目的とはかけ離れた目的のために努力しているのです。ふと気がつくと、自分だけが良ければいいと思う人が増えてしまったために、争いの耐えない、思いやりや優しさのない社会になってしまったのです。そうなって初めて、ボランティアの大切さを子供の頃から授業で教えなければいけないと言われ始めました。本来、教育プログラムに入れなくっても、人から強制されなくても、人間として生まれてきたからには当たり前のことだと思い、自分の事は半分、あとの半分は人に喜んでもらうために活動させてもらうのだと、みんなが分かって育っていけば、どんなに住みやすい温かみのある日本になるでしょう。そう思いませんか?


ボランティアについて語る細川代表

会場に設けられた募金箱に募金する子供さんの姿も


1歳から始まったボランティア活動

 私がボランティアを始めたのは、まだ1歳のときです。もちろんその時の記憶はありません。母の話によると、毎朝、決まった時間にお隣りに住んでいる老夫婦の家へ這い這いしながら訪ね、寝たきりのお婆さんの所へ行って寝ているお婆さんのお布団のなかへ潜り込んでいたそうです。当時、第二次世界大戦末期で、世相的にも暗い時代です。誰も尋ねてくることのない家に、毎日やってくる赤ん坊が、老夫婦にとってささやかな喜びであったようです。特に体の自由が利かないお婆さんは大層喜んで私を抱きしめてくれたようです。赤ん坊の私は、その喜んで抱きしめてくれる姿に喜びを感じ、きっと毎日、這い這いしながら訪ねて行ったのだと思います。これが、いつでもどこでもできるボランティア活動という、1歳だった私が見つけたボランティア活動の始まりでした。振り返ってみても、それ以来、思いついた事は即実行していく人生を歩んで来たように思います。幸いな事に、それをさせてくれた両親がいたから実行できたことだと思います。今の時代でしたら、子供が一人で這い這いしながら例え隣の家にしろ、行くなんてとんでもないことです。とても、させてもらえないでしょう。でも、その頃の日本は、戦時中であるにも関わらず、まだ危険の少ない時代だったので、両親も好きなようにさせてくれたのでしょう。その時、行くのを止められていたら、ボランティアDNAのスイッチはONされなかったと思いますが、止められなかったので、私にとって幸運だったと言えます。


ボランティアの精神を育んだもの

 幼稚園から大学までの18年間、キリスト教系の学校でしたので『愛と奉仕』の教えをくり返し学びました。『隣人愛』や『人間愛』について、学校の宗教の時間に繰り返し学んだ影響で、周りの人のことをまず考えるようになっていきました。それが、『いつでもどこでもできるボランティア活動』の原点になっています。
 意識しないうちに、中学校から養老院へ慰問に行き、淋しい雰囲気を少しでも明るくしようと、絵を描いて壁にはってみたりしていました。それから、社会人になるまで、様々なボランティアをしていきました。


ボランティアとは

 会社務めの間、ボランティア活動を休業していましたが、熊本で結婚して子供を3人育てながら、また、再開しました。昼間は、熊本中を巡っていましたので、主婦とボランティアの活動、どっちが本業か分からないぐらいでした。ですが、夜は子供と一緒の時間を必ずとり、仏教の教えを説いた絵本を読んで聞かせました。みなさん、地獄と極楽の違いって分かりますか?その絵本のなかに地獄と極楽を子供にも分かるように分かりやすく描かれた一枚の絵があったんです。両方共、大きな円卓の真ん中にご馳走を盛った大皿があり、それを囲んで一人ずつがとても柄の長いスプーンを持って座っています。そこまでのシチュエーションは一緒ですが、違いは歴然としていました。地獄はスプーンの柄が長すぎて自分の口にご馳走が入らないので苛立って皆がいがみ合って喧嘩していますが、極楽は、向かい側同士でお互いの口へご馳走を柄が長いスプーンで運んであげてニコニコしながら食事をしているのです。
 これは、死んでからのことですが、生きている間にも地獄と極楽は存在します。しかも両方あるんですね。でもこの人生をニコニコ顔で生きていきたいと思いますよね。そのために何をしなければいけないか。いかにして生きていくのかという鍵がこの絵1枚にあるように思います。「助け合い、支えあい、認め合い、分かち合い」が、私たち本来の生き方ではないかと思います。これがボランティアであると考えます。
 日本人のことだけではなく、もっとグローバルに考えて、世界中の様々な人たちのこともさせて頂く事が大切です。ただ、与えるばかりでは意味がありません。なぜなら、与えてやっているのだと傲慢になるからです。一方的に自己満足で終わらせてしまうと幸せにはなれません。お互いに与え合い、分かち合うことが大切なのです。


2006年度、2007年度入社のみなさんも参加


自分を成長させるもの

 現在は、世界の子どもにワクチンを日本委員会と、スペシャルオリンピックスと言う知的障害の人たちの自立と社会参加を応援するスポーツの国際的な団体を日本で一から立ち上げて活動しています。活動をするなかで思うんですが、今、日本で必要なことは、子供のときから地域社会で学ばせ、いろんな人がいて、いろんな立場の人がいることを自然に理解させていくことではないかと思います。自分の好きな人、気の合う人とだけ付き合うのではなく、自分とは全く意見の違う人と出会うことで、人は始めて成長できます。教育現場では、子供のころから、ボランティア活動させるプログラムを組むべきだとか、強制はよくないとか論争されていますが、どっちでも構わないと思います。ただ、子供たちにいろんなチャンスを与えて上げてください。自分で考えたり、知恵を出し合うことをさせて上げてください。親が全てを教えるのでは、たくましい人間には育ちませんし、親子で分かち合い、認め合うことで、自然にそれらを体験させることができるのです。
 この会場にも、沢山お子さんを連れて参加されています。素晴らしいことだと思います。お子さんと一緒に分かち合い、考えて、知恵を出し、自分たちでできるボランティアとは何か、連帯感を持って体験させて学ばせるチャンスのひとつになってくれると思います。
 日本人の悪いところのひとつは、皆がやるならやるけど、皆がやってないことを率先してやるのは苦手な人が多い所ですね。皆がやってないのに、自分だけが抜け駆けみたいに良い子ぶってやると、皆にどう思われるだろう?と、気を使うんですね。良いことは率先してやれば良いんです。


一歩を踏み出す勇気があれば、
人生が変わる

 雪が滅多に降らない熊本の天草出身の友人が、40歳になって生まれて始めて念願のスキーをして運悪く骨折してしまったことがありました。東京新宿のラッシュアワーのなかで松葉杖をつきながら出社しようとしたとき、本当に怖かったと話してくれました。下りの階段を何百人もの人たちが、雪崩のように下りて行くなか、転がらないように一歩一歩松葉杖で必死に下っていったそうです。無事に出社できてから、ホッとして後で考えると、あの階段で3人だけ声を掛けてくれたけど、どれも同じ言葉だったと思い当たりました。3人とも『May I help you?』と言ったのです。つまり、日本人ではなく、全員欧米人で、日本人は一人として声を掛けてはくれなかったそうです。これを聞いて、ガッカリしました。
 このことについて、仲間の皆で話し合ったことがあります。欧米人と日本人のこの対応の違いはなんだろう?と。そのとき、文化の違いじゃないかと言う人がいました。確かに、欧米の人が多く信仰しているキリスト教は、思っている事を目に見える形で行動することを小さな頃から徹底してやらせます。しかし、そういう文化がないからといって、そんなに日本人は心の冷たい人間ばかりでしょうか?日本人に欠けているものは何なのでしょうか?思いやりがない?優しさがないのでしょうか?違います。これは、人のやらないことをやる勇気がないんだと思います。善なることをやる勇気がないのです。思い切って一歩を踏み出せば、人生が変わるんです。とにかく、ボランティア活動をやってみましょう。やってみて、素晴らしい、良かったと思ったら、次々とステップアップしていけるのです。やるべきことであれば、自分らしくやること。人の目を気にしすぎないことです。


小さな子供さんも真剣に聞いてくれました


優しさの輪を広げよう

 ソ連崩壊直後にモスクワを訪れる機会がありました。空港のなかは省エネのために照明が消されていて、真っ暗でした。自分の手荷物を手探りで探す有様でした。また、乗り継ぎの飛行機に搭乗するためには、広い空港の滑走路の傍を端から端へ歩いて移動しなければなりませんでした。気が遠くなりながら、重い手荷物を抱えて歩いていたら、ある男性が、私の荷物を取ってにっこりと微笑むではありませんか。初めは泥棒かと思いましたが、その笑顔から、良い人だと気がつきました。その人は、アゼルバイジャン人で、『先日の祖国の大地震の際、日本が一番に支援物資を送ってくれたので、かねがね恩返しをしたいと思っていた。日本人であるあなたに会えて、こうやって恩返しができてうれしい。』と言いました。こういった優しさの連鎖は広げて欲しいと思います。ですが、戦争などで憎しみの連鎖とよく言いますが、それはまさに地獄です。断ち切らなければなりません。優しさの連鎖は、人を幸福にし、平和を呼んでくれます。さきほどの関谷委員長のお話にもありましたように、阪神淡路大震災の直後、モンゴルの方が一番に支援物資を送ってくれたことを感謝し、モンゴルとの交流を行っているとのことでしたが、まさに優しさの輪を広げていることは大変良い事だと思います。


JCV設立のきっかけ

 今から14年前、熊本県に根差したボランティアを展開していた私は、かねてから、もっと海外に目を向けようと考え始めていました。ちょうどそのとき、夫が熊本県知事を辞めた事で、熊本県だけの活動に縛られることがなくなったため、海外のボランティアについて勉強を始めました。実は、国連ユニセフの熊本支部を作ろうと仲間と考え、動き出していたのです。そんなとき、医師の蟻田功さんに、世界子供ワクチン会議を京都で開催するので手伝って欲しいと、声を掛けられました。この方は、世界保健機構(WHO)に40年間勤務された後、故郷の熊本に帰り、発展途上の国々の医師をバックアップする財団を設立していました。WHO時代、1980年の天然痘地球上根絶宣言の責任者の一人だった方です。みなさん、種痘(天然痘のワクチン)を受けた事ありますか? 1980年以降に生まれた人は受けてないんですね。根絶しましたから。それまで、この蟻田さんは、世界中に天然痘のワクチンを子供たちに届ける仕事をなさっていたのです。世界6大感染症(はしか、ポリオ、ジフテリア、結核、百日咳、破傷風)のワクチンを世界の子供たちに届けるためにどうするか、これまで各国で会議が開催されてきましたが、この年、京都で開催されることになっていました。私は運営スタッフとして参加し、当時、ワクチンが足りないために、世界中で1日7,000人の子供たちが亡くなっている事を知りました。今はもう4,000人に減っています。そして、2000年までにポリオの根絶のために活動を行うことが採択され、民間レベルでの活動も期待されていることを聞かされました。政府だけではなく各国の民間レベルの団体が設立されると考え、日本での設立を引き受けることにしました。ユニセフでの活動も勉強していましたが、余りにも世界的な大きな団体であるがために、資金がどのように流れていっているのかが、不明瞭に思えました。また、日本は世界の途上国へODAと言う形で国として多額の資金援助を既に行っていましたが、一市民の私たち民間で、同じように多額の資金を集めることは不可能だと思え、何をしていいのか分かりませんでした。ですが、この世界中の子供たちにワクチンを届けるための資金はわずかなお金で行え、子供でも主婦でもサラリーマンでも誰でも、どこにいてもできると知り、日本委員会の立ち上げを決意しました。他の国も直にできるだろうと考えていましたが、民間で立ち上げたのは世界中で日本だけでした。


参加者からの質問を受ける細川代表


JCVはどうしてミャンマーか?

 この会議のあと、世界中の国々でワクチンを子供に接種する日を定め、キャンペーンを始めたため、まず、接種日を狙って各国を訪問し、子供にワクチン接種する現状をこの目で見て回りました。ワクチン接種にはその国の政府の力を借りなければできないため、支援金は当然、その国の政府に渡ります。しかし、視察してみて分かったことですが、残念なことに、どうもワクチン接種のためだけに使用されていない国が多いのです。本来の目的に活かされず、どこにいったのか分からなくなってしまっているのでは、子供からお年寄りまでの心ある皆さんの大切なお金なのに、本当に申し訳けが立ちません。この皆さんの貴重なお金が確実に子供たちのワクチン接種に使用される国はどこなのか、各国を視察し調査しました。その結果、ミャンマーへ辿り着いたのです。軍事政権下であるこの国は、欧米諸国や日本政府から経済援助をストップされているため、民間の支援に頼らざるを得ない状況にあり、しかも、自国でワクチンを生産できず、5歳まで生きられる子供の数が、アジアの中でも最も少ない国だと分かりました。そして何よりも、その国民性は、軍事政権のイメージとはかけ離れて穏やかで真面目な人が多く、100%ワクチン接種のためにお金が活かされている数少ない国であることを知ったのです。今年で10年目になるミャンマーへの支援ですが、毎年、ワクチン接種のキャンペーン時期に訪れています。そこで、実際にワクチン接種に関わっている看護士の方などにヒアリングし、ワクチンが効率的に確実に必要な子供たちへ届けられるように、コールドチェーンという仕組みづくりをお手伝いしたり、そのために必要な物資を提供しています。この国の人たちの穏やかな気性と心の豊かさは、スタッフの我々の心を癒し、訪れる度に感激します。支援する私たちも、その心に助けられていると感じます。


細川代表に展示パネルの説明をする
司会の原田さんと角尾さん

当日は小さな子供さんも含め
多くのご家族が参加してくれました。


お わ り に

 今日お集まりの皆さんに、是非、読んで欲しい絵本があります。これなんですが、講演をするとき、いつも持ってきて皆さんに紹介しているんです。『ねっやまちゃん』と言う題名で、石川美咲ちゃんと言う小学校6年生の女の子が、脳性麻痺で歩くことも話をすることもできない2歳年下の弟の大和くん(やまちゃん)に、話しかけているという内容です。本を開くと、とても絵がかわいらしくて、文章もとっても優しいんです。

タイトル ねっ やまちゃん
著者・絵 石川美咲
●電子書籍の場合
  ページ数 12
  出 版 社 eブックランド社
  予価(税込) 525円
  ブックID  EBLF7041500
  フォーマット Adobe eBook
●紙書籍の場合
  ページ数 24
  予価(税込) 952円
  申込み先 〒020―0062 
       岩手県盛岡市長田町2―21 インクス・アド内
       絵本「ねっ やまちゃん」出版の夢を実現する会
       Tel:019―653―7717 Fax:019―625―2277


「ねっ やまちゃん」の本を手に

 実は、このJCVの活動の他に、スペシャルオリンピックスというNPO団体に関わっている関係で、この本と出会いました。スペシャルオリンピックスは、知的障害のある人たちが様々なスポーツトレーニングとその成果の発表の場である競技会を年間を通じて提供している国際的なスポーツ組織で、私はその日本のNPO法人で名誉会長を務めています。
 では、何故この本をご紹介するのかというと、この本を通して、美咲ちゃんのあったかい純粋な思いを知り、この気持ちが日本中の人たちに伝われば、世界で一番、福祉豊かなみんなが幸せになれる国になれるんじゃないかと思ったからなんです。
 この絵本は、やまちゃんの担任の先生の発案から、盛岡市民11名が夢を実現する会を組織し「1,000人が1,000円を出し合って絵本出版の夢を実現する」ことを呼びかけました。岩手県内だけでなく全国へこの夢の実現に向けて輪が広がり完成したものです。
 この絵本を読んで、心を暖めてください。そして、皆さんが、自分は何ができるのか?を考える番です。世界から信頼され、尊敬される日本になるためにです。そのためには自分のことだけを考えていてはダメ。『本当の平和』とは、一人ひとりの心が平和になることなんです。勇気を出して、一歩を踏み出してください。
(文責:吉本真由美)

講師プロフィール
JCV代表 細川佳代子さん
1942年生まれ、神奈川県出身。
上智大学英文科卒。民間企業から派遣され、欧州各国に駐在。71年細川護煕氏と結婚。様々なボランティア活動に参加し、94年「世界の子どもにワクチンを」日本委員会を設立し代表に就任。途上国へワクチン支援を行うため、毎年直接支援国を訪問し募金活動を行っている。
スペシャルオリンピックス日本名誉会長。