文化とスポーツの交流


● ● ●  和凧づくり  ● ● ●

  6月1日の朝、今日は図書贈呈式の日だ。ゲルの中で贈呈式の時間まで見本となる凧づくりに取り掛かった。永野くん、岡田くんが凧本体を作り、大野団長と私で凧糸を巻きとった。幼少時代とは勝手が違い、効率が悪くて予想以上に苦戦を強いられた。そして午後から小学校の教室で永野くん、岡田くんと私とで凧づくり係となり子供たちと一緒に凧づくりに取り掛かることとなった。
 まず効率を考えて凧の骨組のみを3人で製作し、子供たちには凧の帆(紙の部分)に絵を描いてもらった。最初は、おとなしかった子供たちも徐々に慣れてきて、あっという間に絵を描き上げてしまった。見た感じは、馬(モンゴル語:モリ)の絵が多かったように思えた。女の子たちは、絵を描くとすぐに凧に貼りたいと私の手を引っ張ってきた。我ながら人気者になったと勘違いしていると、男子たちが私の製作途中の骨組を勝手に分解し始めた。教えていないのに見様見真似で簡単に作りはじめ、とても器用に私よりも早く製作していった時は、当たり前だが少し寂しかった。しかし子供たちは、笑顔で私の周りを取り囲んでキラキラした目で次の手順を要求してきた。その姿に癒されながら子供たちのために頑張ろうと必死になっている自分には正直驚いた。
 最後まで子供たちと凧づくりを手伝って完成させたかったが、バスケットボールやバレーボールをする時間の関係上、途中で教室を去らなければならなかった。当日は、残念ながら雨模様で凧上げはできなかったが、今頃マルチン郡の紺碧の空に子供たちの凧が高く舞上がっているにちがいない。
(坂本 憲太郎 記)


和凧の絵に日本とモンゴルの国旗を
描いてくれた子供たち

和凧づくりには高学年が参加



● ● ●  スポーツ交流  ● ● ●


合気道と柔道の演武
  大野さんと永野さんの柔道と合気道の演武は、一つひとつ技が決まるごとに歓声が沸いていた。中でも、柔道の一本背負いが決まると一番の歓声が上がった。
 バスケットの試合では、5人のモンゴル人に我々がそれぞれ1人参加したチームを編成し、全8チームのトーナメント戦を行った。言葉の問題によりコミュニケーションがなかなか取れないことから、試合前半は図書贈呈団のメンバーにボールがなかなか集まらない。それでも後半になると、「ハイ!」「オーイ!」などオーバーアクションでこちらの位置を知らせるとボールが集まり始め、ようやくバスケットボールに参加できたように感じた。モンゴル人の気性なのか、パスを回すチームプレーより単独プレーが目立ち、ボールを持つとすぐさまシュートを狙う人やドリブル突破を図る人が多い。“そこはパスだろう”と心の中で突っ込むものの、言葉が通じないというジレンマに陥る。日本より標高が高いせいか、日本人メンバーの全員がすぐに動きが鈍くなり、モンゴル人のタフネスぶりに感心した。
 バレーの試合は、日本人チーム1チームとモンゴル人3チームの全4チームでトーナメント戦を行なった。バスケットボールは人気があるみたいでかなり上手な人が見られたが、バレーはモンゴルでは普段はあまりやっていない感じでそれほど上手ではない。しかしながら、年齢の差も男女も関係なくみんなが本気で闘争心剥き出しでプレーする姿を見ると、これは当社のバレーボール部でも見習わなければいけないと感じた。
 いずれにしても、スポーツというのは言葉が分からなくても心が通じ合う不思議なものだということを改めて実感し、何もかも忘れ息が切れるままに我を忘れて試合を楽しんだ。
(岡田 圭司 記)


日本チームの意地をかけ果敢にアタック

4チームによるトーナメント戦



● ● ●  折 り 紙  ● ● ●

 低学年が中心に集まってくれたので、10人程度の3グループに分かれて行った。モンゴルには折り紙の文化がなく、日本人なら誰でも知ってる「開く」ということが解らないようでなかなか苦労した。特に、単純にきれいに折る作業がなかなかできない。我々も本を見ながら昔を思い出し、なかなか懐かしい気分になった。簡単なネコ、犬、ふうせん、紙鉄砲、おすもうさんなどを作り、楽しそうに色紙を折っている姿を見ると自然にこちらも笑顔になった。
(黒岡 達男 記)

女の子だけじゃなく男の子も喜んで参加