「働く」ということ
千房株式会社 代表取締役社長
中 井 政 嗣


うちの会社は一人ひとりが大切
うちの会社に来て良かったと
思ってもらいたい


 千房をご存知の方いらっしゃいますか?(みんな手を上げない)では知らない人は?(依然として上げない)そしたら知っている人?(ほとんどの人が手を上げる)良かった。ありがとうございます。では、千房のことについて簡単にご紹介します。北は北海道から南は九州まで全国展開しておりまして、国内では55店舗あります。神戸では三宮の生田ロード店があります。みなさんにも御贔屓にしていただいている様でありがとうございます。海外では、オーストラリアのブリスベン、アメリカのニューヨーク、韓国のソウル、ハワイと出店しておりましたが、残念ながらオーストラリア、アメリカ、韓国は大失敗。約6億円の損害を出しました。あの6億円があればなぁと、思うこともしばしばですが、当時は銀行の方も融資をバンバンしてくれる時代でした。
 何とか、ハワイだけは残りまして、今も営業しています。もし、皆さんの中でハワイでの挙式をあげられる方がいたら、私の持っているカードをお貸しします。遠慮なく言ってください。それを持ってハワイ店へ行きますと、オーナー待遇になりますからいいですよ。
 では、会社の紹介に話しを戻しますが、年商は56億円、従業員は724名います。従業員数は、約800名でもなく、724名、確かにいます。これはよく自分の会社を説明する時、約800名とか800名弱とか言いますが、この数字を正確に言うことが大変大事です。800名強などと言うと、強の中に含まれた従業員は飛んでしまっていることになります。一人ひとりが大事なんだということを表すために、この数字はきっちりと言いたいと思っています。


良きライバルがいるから強くなれる
競争してもいいやんか!


 実は勉強が大嫌いでした。その上、家も貧しかった。ですから、中学を出て、即、就職となり、超ラッキーでした。小学校、中学校の成績は平均3です。この平均3というのは、教科の中でも1もあれば、5もあっての平均3です。まず、元気印でしたので体育は5。運動会の徒競走ではいつも一等賞でした。昔の運動会で一等賞をとると、褒美がありました。ノート5冊や鉛筆1ダースなどありました。今は全く違います。みんな平等にしましょうという思想です。世間へ出たら競争社会です。平等なんてありません。ですが、公平さは求められます。平等は、公平ではありません。平等と公平とは違うのです。平等は何事も一律ですが、公平は順位がつくのです。なのに、学校では競争を極端に嫌います。そこのところが履き違えている気がします。
 セ・リーグで阪神が優勝したとき、NHKから、「お好み焼きを作ってください」と依頼がありました。本職なのでお好み焼きを焼くのは「喜んで」と言いたいところですが、直径10mのお好み焼きとのこと。以前、フジテレビ主催『広島と大阪のお好み焼き対決』へ出場したときに、直径2mのお好み焼きを焼いた実績がありました。それをNHKは知っていての今回の依頼でした。そのときはもちろん勝ちましたが、費用は800万円かかりました。10mのお好み焼きを焼くために、費用や材料は2mの時の5倍かというと、そうではありません。2mでは250食でしたが、今度は一気に10,000食分になりました。これは1社では出来ないなと感じ、ライバル会社でもある『ぼてぢゅう』、『風月』、『とうりゃんせ』、『ゆかり』などに声をかけました。
 ですが、計画する前から誰もが無理だと言います。やってみないとわからん。やりたいのか、やりたくないのかどっち?と、問うと、皆さんやりたいという返事。ならやりましょうと、始めました。物理学者まで入り、焼く温度や鉄板の厚さなどの検討をしました。総勢40社、450名のスタッフで運営した大プロジェクトでした。結果的には10mは物理的に無理との判断で8mになりましたが、見事成功。ギネスブックにも勿論登録されました。この企画で共に遣り遂げたことがきっかけで「上方のお好み焼き、たこ焼き協同組合」が生まれました。ライバルはライバルですが、良きライバルということがすごく大事なのです。それぞれ、仲良く平等だというのではなく、平等の中にも公平、公正があり、平等にチャンスを与えて公平、公正に評価することが大事なのです。



個性は基本の延長線上にある


 図画工作は5点でした。絵画はいつも貼り出されて、秀作には金紙や銀紙を貼ってもらっていました。今は平等を重視するがゆえに、金紙や銀紙を貼らないそうです。人それぞれの個性なのだからと、平等にすべての作品を貼りだすそうです。それは違うやろ?と思います。
 例えばピカソの絵はどうですか? 理解出来ますか? 私は、子供でも描ける絵やと思っていました。でも、違うんですね。15歳ぐらいのときの絵は、本当に感動するぐらい実物と間違えるほどの写実画を描いているのです。『相田みつを』という詩人の字ですが、子供みたいな字を書いて、誰でも書けると思うでしょうが、実は素晴らしい楷書文字が書けるのです。つまり、基礎があるからこそ、その延長線上であの絵や文字があるのです。なんでも個性があるからでは片付けられない。基礎、ベースを固めてマスターしてから個性が生まれてくるのです。


父親から贈られた財産が
今日の自分を作った


 姉、兄、妹、弟は、皆、学業が優秀でした。できの悪い子供ほどかわいいと言いますが、あれはウソですね。兄が進学するときは、担任の先生もずっと家へ来ていましたし、親も気にしていました。私の番になると、担任の先生も家へ来ることはありませんし、親も勉強しなさいとは言いません。忘れもしません。昭和36年3月18日に、地元の白鳳中学を卒業しまして、次の日、乾物屋さんに就職しました。15歳の丸刈りの子供です。持ち物といったら、下着を入れた風呂敷だけです。親の後をトボトボ着いていきました。新しい場所に夢と希望を持ってと言いたいところですが、学歴もない、これといった才能もない、まして金もないし、やる気もない。そんな者が夢を描ける訳がない。不安で一杯でした。人ごみを見て、ますます不安になりました。そんな時、親父が私に「政嗣、1年間は、どんなことがあっても家に泣いて帰って来たらあかんで。」と、励ますつもりで言ってくれた様ですが、私には突き放された気がしました。別れ際、500円を握らせて「元気でな」と言って、何度も振り返りながら帰って行った父の後姿を人ごみに消えてしまうまで見送りました。この時の光景は今でも忘れられません。その姿を見たのが、父を見た最後の姿になったからです。昭和36年の10月10日、父は癌で亡くなりました。電報で「チチキトク」と届き、飛んで帰りましたが、到着する10分前に亡くなっていました。すぐには泣けませんでした。就職してから毎晩「帰りたい」と布団を被って泣いていましたから、やっと帰ることが出来たと思いました。苦しさや厳しさには耐えることは出来ますが、寂しさには耐えることが出来なかったのです。そんな私が、家にやっと帰って来て周りを見渡すと、就職するときにはなかったテレビが置いてありました。自分ひとりがいなくなったら、家はこんなに豊かになるのかと思いながら、もう、父もいないんだな……と思うと涙が溢れました。学歴もない、金もない自分が頼るのは、親だけだったのに、その頼るすべがなくなったと思ったとき、「お金だけが全てだ。お金をコツコツ貯めて小さいながらも独立して店を持とう」と、思いました。今ではお金が全てだとは決して思いませんが、この時は、そう思いました。

1度も座ることなく、パワフルに
話し続けられた中井氏
  新入社員研修でも「みなさん、しっかりお金を貯めなさい」と言うと、みなさんは決まって「社長、お金が全てではありません」と言います。ですが、それはしっかり貯めた人が言うのです。お金のある人が言うのと、ない人が言うのとでは全然違います。お金は大事です。昭和36年の初任給は2千円、2か月目から3千円でした。『中井君3千円』と書かれた以外、明細も何もなしの給料袋に入っていました。こんなものやろうなぁと思って押し戴いていました。兄は「政嗣、独立するんやったら、お金貯めなあかんやろ。お金貯めるコツは、収入の高い低いとは違う。お金は使わんかったら貯まるんやで。」と、言います。今でもこの言葉は私の座右の銘です。財布の中にお金がなくても全然困りません。使わなければいいんです。それからもう一点、「金銭出納帳をつけろ」と言われました。つけていれば一人前の商売人になれるならと、つけ始めました。道で拾った10円のお金までつけました。実はこの金銭出納帳が後に千日前に店舗を構える資金調達の役に立ちました。この帳面を担保に取引先の信用組合から3000万円を借りることが出来たのです。
 あるときに、町でばったり中学の同窓生に会いました。中卒で就職する人が多い時代でしたから、彼も同じ様な仕事に就いていました。久しぶりに話をしていたら、給料の話になり、当時、私は給料5千円だったのですが、彼は1万円もらっていました。お金を貯めなければと思っていた私は早速母に電話をして、今のところを辞めると告げました。「友達は自分より楽をして倍の給料もらっている。自分は何も親からもらってないし、独立するにはお金がいるから、給料のいい友達が勤めている会社に変わる」と言うと、母は「何を言ってるの。いいところに就職したのだから辛抱しなさい」と電話の向こうで泣きながら反対するのです。「辛抱したら、必ず良くなるから」と言う母に、「何も良くならへん」と、言って電話を切りました。
 しかし、この年齢になるとわかります。あの時、1万ではなく5千円の給料で辛抱して働いてきたからこそ、その時の差額5千円を貯金した様に、今、良い事が巡ってきているのです。正直者は馬鹿を見ると言いますが、あれは間違いです。必ず、良い事があります。一時的に馬鹿を見るかもしれませんが、将来、必ず良い事があって、人生辻褄が合います。私の親は、一生懸命働き尽くめで、お金にもならないのに人の世話をして、大きなお金も残さずに死んでしまったと思っていましたが、実は私たちに財産を残していたんです。人を蹴散らして生きてきた人の子供は必ずと言っていいほど、お金を稼ぐことが出来ないそうです。


夢、目標を持つこと


 私は宗教家でもなんでもないですが、神や仏の教えで言っていることで、なるほどそうだと思うことを私は体験から学んできました。私も18、19歳と青春を謳歌したいと思っていましたし、遊びたいと思っていました。でも、この貯めているお金はそんな事に使うために貯めているんじゃない。独立して店を構えたいという夢、目標があるから貯めているんだと自分で言い聞かせました。みなさん、夢はありますか? 目標はありますか? 会社の目標もありますが、自分の個人の目標もあります。最近の若い人に聞くと「別に」という返事が返ってきます。あんまり聞くと「超ムカつく」と無茶苦茶な事を言われます。難しいことじゃないんですが、目標っていうのは「あなた、どこへ行くつもりですか?」と、いうことです。国内旅行と海外旅行では、準備が違います。目標は、大学へ入ったり、専門学校へ入ったりすることではありません。目標のために、大学へ行ったり、専門学校へ行ったりするのです。目標がない人は、迷子です。迷子の条件は3つあります。1つはどこへ行くのかわからない。2つ目は現在地がわからない。3つ目は脱出方法がわからないです。こんな事にならない様に目標は早いうちから身近なところから見つけていくことが大事です。



何のために働くの?


 よく、いろんなセミナーの梯子をしている人がいます。それで自分はもうその仕事は出来ると思っているのです。仕入れてきて、冷蔵庫に入れ、そのまま何もしないので全部賞味期限が切れているのに気付いていないのです。経済などは、タイムリーな事と鮮度が命です。知識は仕入れてきて、加工して、実行しないと意味がありません。勉強して知識は入れるものです。そして、加工するときに知恵と工夫が生まれます。実行は何かを作ったり、したりすることです。たとえば、すき焼きを食べるとき、一人で食べますか? 家族とですか? そうですね、皆と食べるとおいしいですよね。仕入れてきた物を鍋で煮て皆で食べると美味しい肉も一層美味しく感じますよね。勉強は自分のためにするものではありません。皆に喜んでもらうためにするのです。人に喜んでもらえるから、ヤリガイも生まれてきます。
 何のために仕事をしますか?と、質問したとき「自分のため」と、よく言います。社員にも聞いたらそう言います。そして社長は社員のために働くのだと言います。私は自分のためだけなら、千日前の店だけで左団扇の右扇風機ですみます。ですが、部下には「こんな店がいいな」という夢があったのです。その部下の夢を叶えるために次の店舗を開店します。そのまた部下にも夢があります。そうやって現在の55店舗になっていったんです。皆さんも今日は休日で、しかも給料や手当てが出ないにも関わらず、こうやって会社に出てくるなんて凄いと思いました。強制ではなく、任意で集まってくるのは本当に良い組合だなと思い感激しています。
 他の新入社員研修では休日に出てきたら手当てが出ることが多い様です。千房の新入社員研修では、「入社、おめでとうございます。皆さんはこの会社に入社して大変ラッキーです。何故なら、私がこの会社の社長だからです。これから、皆さんを決して見捨てることはしません」と言っています。そして、「学生時代ではお金を払って授業を受けていたのが、今からは給料をもらって勉強出来ます。これは誰のお陰だと思いますか?」と聞き「昔は、自分のためだと言いながら、会社のためや地域のためになっていました。でも今は自分のためとなると、本当に個人のためだけになってしまいます。皆、自分のためだったら、無茶苦茶な状態になります。遅刻しようが無断欠勤しようが、自分だけのためなら関係ありません。それによって、まわりに多大な迷惑をかけてもです。新入社員で入って来ただけで、まだ何も出来ないのに、給料をもらっていますね。それは誰のお陰でしょう? それは皆さんをとりまく、ブレーンが支えてくれているからです。あなたはその人のために働かなくてはならない義務と責任があります」と、言っています。
 このことは次の新入社員にも伝え、繋がっていくようにしています。継続していくことが大事なのです。先ほども言いましたが、自分のためだけにするのでは、ヤリガイも何もない。人のためにしてこそ、本来の人間のヤリガイになるのです。「そういえば、あまり人の役に立ってないなぁ。死んだ方がマシや」と、自ら命を絶つ人がいます。そういった人でも「死なないで欲しい」と思う人がいます。親、家族、友達です。息しているだけでも、そこにいる存在感だけでも、そう言ってくれる人の役に立っている。そう思って、ヤリガイを見つけて生きていくのです。


物を大事にすること。そうすれば、
その気持ちに物は応えてくれる



メルセデスベンツ社からの感謝状を見せる中井氏
  働き始めてから5年、この間に学んだことは耐えることでした。この5年がなければ、今の私はなかったと思います。昔から言いますが、貧乏人の子には教育はいらん。私は、お陰様で貧乏人として育ちましたので、辛抱することを知っていました。何よりも物を大切にする心を持っていました。私も中小企業の社長の端くれですから、車が欲しいなぁと思い、ベンツを購入することにしました。尊敬する人が、「中井君、ベンツを買うのは、家1件買うのも同じ。大切にしなさい」と。ですから、大事にしてきました。自分で洗車してワックスかけして、エンジンルームもピッカピカにしていました。20年間、32万4百キロメートル乗り続けました。30万キロメートルを超えた時、ベンツ社から感謝状が届きました。文言が素晴らしいので、ご紹介します。『最上級の敬意を込めて。メルセデスベンツ社はいつの時代にも人を大切にする車づくりを目指してまいりました。安全性への最大の配慮、最高品質への挑戦はすべてのオーナーと深く長い信頼で結ばれていたいという決意に基づいております。このたびのご走行はメルセデスベンツへの信頼と長年にわたるご愛顧の証しとして、この上なく名誉な事と深く感謝を申し上げます。これからも最高のコンディションでご愛用いただけるようアフターサービスに最善を尽くしてまいります。今後ともメルセデスベンツとともに素晴らしい人生の歴史を築かれることをお祈り申し上げます。』このベンツも20万キロメートルぐらいからエンジントラブルが出るようになりましたが、私は乗り換えるつもりはありませんでした。ある時、時々、運転手の代わりになっていた長男が運転しているとき「もう20万キロ超えているし、買い替え時じゃないの?」と、言いました。その途端にブスンブスンと、止まってしまいました。「何言っているの」と、私が変わりに運転すると、ベンツもわかっているらしく、エンジンが掛かって走り出しました。長男は「こんな気持ち悪い車、乗られへんわ」と、言ってそれ以来、乗らなくなったという事がありました。
 それから、生田ロードの店が開店するとき、この店の24歳の店長に、「仏彫って魂入れずという諺があるけど、この店の魂って何?」と聞きました。すると「はい。売り上げを上げることです」と、返事しました。「確かに売り上げを上げてくれたら嬉しいが、それは結果。そうじゃなく、そうするために何をするかという事。難しいことではなく、例えば店に出すグラスを心込めて磨きなさい。そうすれば、あなたの気が入ります。その気が従業員を活性化させ、お客様にも伝わる。」と、言います。気の入っているグラス、大事にしているグラスは、波動測定器にかけると針が動きます。例えば、床に落としたとしても気の入っているグラスは割れません。鉛筆でもペンでも大事にしてください。そうすれば、気が入っていますから、道具が主人に役立とうとします。
 このスーツ、実は調理場で引っ掛けて、お尻の部分が破れていたので、妻に縫ってもらったんです。妻には「社長なんだから、それはないでしょう。みっともないからやめたら? そんなに上手に縫えないから」と、言われましたが、「お前が縫ってくれた所を触るたびに思い出して、ありがたいと思うから、縫ってくれ」と頼みました。破れて縫うのは何とも思いません。でも薄汚れるのは駄目ですよ。子供のときは、膝あてした服を母によく着せられました。「格好悪い」と言うと、「破れていたり、汚いのは駄目だけど、縫ってあるのは誇りに思いなさい」と、言われた事が今までトラウマの様になっていますので、嫌だと思わなくなっているのです。
 ケニアのノーベル平和賞を受賞したマータイ博士が、日本に来られたとき、「省エネ、リサイクル、地球環境に優しい」をひっくるめた素晴らしい日本語があると発表されました。これを世界共通語に広めると宣言されました。そう、「もったいない」です。テーブルの上に落ちたご飯を今の子供が食べようとすると、その親は汚いと言います。昔はご飯粒を残すなと言われ、お茶碗にお茶を入れて残さず食べたものです。テーブルの上に落ちたもので死ぬことはありません。「汚い」より「もったいない」の方を優先するのです。
 昔、冷蔵庫がなかった時代に、豆腐は一番足が早く腐りやすかったので、大丈夫かどうか聞いてみると、親は食べてみたらわかると言います。食べてみると酸っぱいので、不安な顔をすると、「食べても死なない」と食べさせられました。別に何ともありませんでした。今、賞味期限とか消費期限とかの表示がされる様になっています。賞味期限はどのぐらい大丈夫かというと大体6か月と表示されたものは1年大丈夫です。ところが賞味期限に頼り切っていますから、一日でも過ぎると食べれなくなってしまいます。自分の舌の感覚が一番だということが忘れ去られている様で残念です。そのために現代人はだんだんと虚弱な体質になっている気がします。不潔とは違いますが、少々腐っていても自分の舌の感覚を信じて食べる様でなければ、抵抗力がつかなくなります。物を大切にする心を知らなければいけません。人のありがたさ、感謝する気持ちが大切です。


周りの達人たちに
支えられてきたから成長出来た


 今日は「働くこと」についてテーマをあげていますが、その前に私がどういう意識を持って働くことをしてきたのかをご紹介しました。夢、希望と言ってましたが、人間やってみないとわかりません。ですから、私の親も最初から今の千房になるとは夢にも思っていなかったと思います。想像もしていなかったことです。ですが、そこへ行くまでの間、小さなことをひとつずつクリアしていきました。その積み重ねの延長上に今があるのです。ですから、私は成功者という言葉は嫌いです。成功より、成長者だと思っています。人間はどんな人でも成長はする。去年より今年、今年より来年、成長していきます。私は、未だに自分に能力があるとは思いません。このようになったのは、自分の力ではないと思っています。周りの良い人に出会えたし、いろんなことを教えられた。ただ、それを誠実に謙虚に受け止めて、続けてきただけです。ですから、私の手柄ではなく、周りの人の手柄です。去年、「達人」というテーマで原稿依頼がきました。自分が達人だとはどうしても思えないが、私の周りの人の中で達人は一杯いると思いました。例えば、80万円しかない私に無担保で3000万円を融資してくれた信用組合の方は、人を見る達人でした。あなたは、私に勝てるものはありますか? 50メートル走だったら、私も頑張るから勝つかもしれませんよ。もっと勝てるものがあるでしょう。そう若さね。いくら頑張っても無理。あなたはどう? 絶対私が勝てないものがある。女の人ということですね。女性にはなれないですね。一人ひとり聞いていくと、どんなに努力しても勝てないものを持っている人は私にとって達人なのです。つまり、こういった考え方をする私を生み育ててくれた親は子育ての達人だったと思います。周りの人は自分の先生だと、いう気持ちが大切です。周りの人より自分が勝っていると思うと、学ぶ気持ちが生まれませんから素直な謙虚な気持ちを持つことです。


「あなたは私に勝てるものはありますか?」と質問され、答える参加者


自分の仕事にプライドがあるから
嫌なことでも笑顔で出来る


 姉の夫である義兄に、お金がなくても出来るお好み焼きの店を受け継がないかと誘われました。レストランのコックに憧れていた私は、嫌だと思いました。食べるのは好きだけと、自分が仕事として関わるのは嫌でした。オーナーであっても恥ずかしいし、格好悪いと思いました。これでは従業員を募集しても来てくれる訳がないと思い、従業員が胸を張って働くことが出来る店にしようと、格好いい会社、企業にしようと思いました。プライドを持って働ける職場です。例えば、お客様に「1500円あげるから、この場で土下座しろ」と言われたら出来るか?と店長クラスの人に聞くと、全員「する」と言います。でも、主任クラスの人に聞くと「お金は欲しいと思いますけど、プライドがあります。そんな事をしてまでいりません。」と、言います。この差は、自分の仕事にプライドがあるかないかの違いです。自分の仕事にプライドがあるから、嫌なことでも出来るのです。次に、質問を変えて「お母さんが病気で薬代が1500円。でも金を持っていない。そういう状況ならどうする?」と聞き直すと、「やります」と、言います。自分のためだったらプライドがあって出来ないことも人のためだったら出来るのです。


自分の態度がまわりの人に
どれだけ影響を与えるかを知ること


 お好み焼き屋なんて嫌だと思っていましたが、そのお好み焼き屋さんでは6年間お世話になりました。その後、昭和48年、12月9日、千日前の今の千房が生まれるのです。従業員がわずか5人、営業時間は昼の12時から深夜3時まで年中無休でした。従業員5人をお店が終わってから帰すのが怖い状況でした。お疲れ様でしたと言うのも「明日も出勤してね。」という気持ちを込めての「お疲れ様」でした。皆さん、あくる朝、出勤するのが当たり前でしょうが、店長が毎朝起こしに行くこともありました。帰りに浮かない顔をしていたら、明日大丈夫か?と聞いていました。次の日、誰よりも早くに出勤して、従業員は来るだろうかと心待ちにしていました。「おはようございます」「おはようございます」……と、5人揃ったのを見て、今日も営業出来るなぁと、安堵していました。挨拶は心の仕草、しかも言葉は魂だと言われています。言霊(ことだま)とも言われています。「おはようございます」と、たった9文字の言葉の中にどんな心が込められているのか? 一言二言の言葉のやりとりの中で瞬時に、その心の中がわかる様になったのは、非行少年、非行少女との話のやりとりがあったからでした。


 彼らは面接に保護者や担任の先生と来ます。その間、彼らは本当に無表情で態度は硬直しています。何も話しません。保護者の人や担任の先生に出て行ってもらって、一対一で2時間から5時間経過することもありました。面接が終わるとぐったりします。でも、面と向かって話しをしているうちに、顔の表情が変わったり、体が動いたり、目が動いたりします。これは何を意味しているのか、何を言いたいのか考えさせられました。わかるか?という問いかけに、「はい」と答える。活字に書いたら、ただの「はい」で、同じ。でも言葉にすると色んな調子の「はい」になる。そうかそういう事か。何を考えているのか、色んな所作で手に取るようにわかるではないかと思いました。と、同時に自分も相手にわかられているのだなと思いました。ですから、教養を豊かにしようとか態度は控えめにしようとか言葉を慎もうとか、色んな事を考えます。
 今日は勿論、顔を洗って髭を剃りました。念入りにしたつもりですが、こんなものです。自分の顔やから別に自分の好きにしたら良いだろうと言われる方もいらっしゃいますが、そうではありません。自分の全てが、周りの方に影響を与えることを知らなければいけません。そして、皆さんのその視線や表情が私に影響を与えるのです。大阪のある出版社の社長が、バーカウンターへ行った時、カウンターの隅で一人浮かない顔をして座っているお客さんがいました。そこで、「あなた、体の調子が悪いのですか?」と、聞くと、「いいえ、悪くありません。」と、返事したそうです。その途端、「だったら目障りです。自分が周りにどんな影響を与えているかわかっているのですか?」と言ったそうです。
 よく、「自分の勝手やから構わないで欲しい」と、言う人がいますが、人間は自分だけではないのです。自分だけのために生きているわけではありません。いろんな人に影響を与えて、与えられて生きているのです。自分の存在が周りにどれだけ影響を与えているか考えるべきです。


自分を支える根となった
親を大切にすること
そして一生懸命生きること


 何のために生きるのか? 働くのか? 勉強するのか? 求めていくことがあったとき、生き方が変わる。心が変わると態度が変わる。態度が変われば、行動が変わる。行動が変わったら、習慣が変わる。そして、周りから人格が変わり運命が変わり、人生が変わります。「相田みつを」さんの詩に『花を支える枝 枝を支える幹 幹を支える根 根はみえねんだなあ』というものがあります。この根は何でしょう。人によって様々ですが、その人の価値観、人生観です。その考え方や捉え方が、行動になって表れるのです。そして枝から花になります。これはもう結果です。しっかりと根を張っているから花も咲くのです。人間の根は何ですか? 親です。だから、この親を敬い大切にしない人は、残念ながらだたの一人も大成していません。文句ばかり、悪口ばかり言う人は偉くはなれません。考え方、捉え方の腐っている人が花を咲かせる訳がありません。最近の若い人に「花は何のために咲いていますか?」と聞くと、「勝手に咲いている」と言うそうですが、一理あります。『相田みつを』さんの詩に「きれいな花を美しいと思えるあなたの心が美しい」という内容のものがあります。花はただ咲いているだけで、人を感動させようとか思っているわけではありません。でも感動します。感動するこころが大切だということです。六甲山の山肌にひっそりと咲いている花を見て感動します。それは何故かというと命一生懸命に咲いているからなのです。



理性と感性
感性を磨くことがこれからは大事


 店の玄関にゴミが落ちていたとします。皆、気づいていますが何もしません。しかし、私はすぐ拾います。ですが、これを拾うことが出来る人と出来ない人がいます。これはただひとつ、感性と理性の違いです。電車でお年寄りが乗ってきて自分の前に立ったとき、すぐに席を譲ります。これは感性で行動しています。こんなことをあれこれ考えていたら、席なんてすぐには譲れません。心の時代とか言ってますが、一方では知識をガンガン入れています。本当に当たり前のことが出来ません。これからは感性の時代だなと思います。そういうことが周りから支持されます。これから皆さん幹部になって部下に言う場合、説得しようと思っても部下は動きません。どうしたら動かせるのか? 納得させれば動きます。納得させるのは、好きか嫌いか、損か得かです。つまり、これは情でいくしかありません。人を動かすのは情です。部下が、間違ったことをしても見逃すこともあれば、間違っていなくても怒らなければならないこともあります。情が、人を動かしていくのです。こういった場でも、話をしながら、皆さんの視線を感じ、共鳴、共感しながら話をしているのです。


続けることが100の力になる


 大好きな言葉を紹介します。「知っている」というのは単なる知識なので1の力です。でもやっているというのは10の力です。それを続けているというのは100の力。
  知ってるに越したことはないのですが、やっている方がもっと値打ちがありますし、さらにそれを続けることが最大の力になるということです。
  私も続けていることがいくつかありますが、実は全従業員の給料袋に毎月、私からメッセージを入れています。これを書き続けて19年と6か月になります。千房創立が満32年になりますが、19年前は給料を現金で手渡ししていました。全国からレベルの高い非行少年、非行少女を採用していましたので、給料日には現金盗難の連絡が各地の支店からありました。そこで、取った人間が一番悪いけど、そんな環境を作っている方がもっと悪い。現金を手渡ししているからだ。銀行振り込みすればいいだろう。と、いう事になりました。でも、月に一度の給料日はそれなりに意味があり、労いの意味もあるので、どうするか悩んでいるときに、中小企業の社長である友人が、従業員へ給料日にメッセージを送っているというのを聞き、私も実行することにしました。
 5月号を読んでみます。
 『大型連休お疲れ様でした。大きな事故やクレームもなくほっと一息。先月オープンした千房エレガンス戎橋店も確かな手ごたえを感じています。5月27日に千葉そごうにエレガンスが開店します。店長寺島正樹、スタッフ牧野他、一人ひとりの戦力を求めています。出店計画を実現するにあたりスタッフの能力が問われます。あなたも千房の幹部としての知識と指導力を身につけ腕を磨いてください。ノーベル平和賞受賞のワンガリ・マータイさん(アフリカ・ケニヤ)が来日したとき、今、地球環境、特に温暖化が世界的に問題として取り上げられている省エネ、リサイクル、地球に優しいなど全てを表した言葉「もったいない」を世界共通語にすると宣言。私の少年時代は親からもったいないを口癖の様に言われていました。「電気消しなさい。もったいないから。」物を捨てるときも「もったいないから修理しなさい。」電気、冷蔵庫もクーラーもない時代だから、フロンガスもない。食べ物も消費期限が書いていないから、自身の舌で確かめた良き時代でした。連休に各支店を訪れました。至る所にもったいないと感じることがありました。お客様を迎える店舗です。ケチ臭い店であってはなりません。しかし、その裏で常にもったいないという気持ちで行動してください。そんな事を実践出来ている人が教養を身に着けている人と言うのです。あなたの能力がまだ発揮されていない。もったいないことです。頼むよ。おまえも頑張れよ。はい分かりました。中井政嗣』
 以上ですが、すべてこれは毛筆で書いています。人に字を習ってたのかと聞かれますが、最初書き始めたときは、ミミズに覚せい剤を打った様な字でした。ですが、毎月続けているうちに、100の力になったのです。
 実は、これは3分間スピーチにぴったりの文字数なんです。これを書き続けたお陰で、色んな事も出来る様になりました。ひとつの事を長く続けていれば、他のことも、あれも、これも出来るようになるんです。



拍手で送られる人生を


 例えば、一仕事終えて、机の上がまだ山のような書類のままの人がいますね。これは間違いなく金銭感覚がルーズな人です。因果関係がある様です。ですから、自分が金遣い荒いなと感じたら、金銭出納帳をつけて、机の引き出しを片付ける事です。自分が置かれている状況でどうしたら、楽しく、夢をもって働けるか、自分自身で考えられる人が人生を楽しく充実して送れる人です。
 私の友人がまだ若くして亡くなりましたが、その葬儀の場で、我々仲の良かった者たちで泣きながら拍手をして送りました。若いから死なないとか病気だから死ぬとは限りません。いつどうなるかわかりませんが、いつ死が訪れようと、自信を持って行こう。心残りはありますが、悔いのない人生を送りたいと思います。拍手で送ってもらえる様な人生でありたいと。


人と出会い、関わっていくこと


 いろんな方との出会いのなかで、そのあと、どう関わっていくかが大事です。私の友人でハンセン病患者だった塔 和子さんという方の素晴らしい詩がありますのでご紹介します。
『胸の泉に。かかわらなければこの愛しさを知るすべはなかった。この親しさは湧かなかった。この大らかな依存の安らいは得られなかった。この甘い思いや寂しい思いも知らなかった。人はかかわることから、様々な思いを知る。子は親とかかわり、親は子とかかわることによって、恋も友情もかかわることから始まって、かかわったが故に起こる幸や不幸を積み重ねて大きくなり、繰り返すことで磨かれ、そして人は人の間で思いを削り、思いを膨らませ、生を綴る。あぁ何億の人がいようともかかわらなければ路傍の人。私の胸の泉に枯葉いちまいも落としてくれない。』この詩を思い、これからも人にかかわっていきたいと思います。


最後に


 人生、うまくいくのもうまくいかないのも、たまたまそうなったのではなく、なるべくしてなっているのです。その元は自分自身なのです。周りでも何でもありません。自分です。例えば、専門的なキャリアデザイン習得方法とか『働くとは』という意味とかは、本屋や図書館に行けばノウハウの本はいくらでもあります。でも、今日、お話しした内容は全て『生』です。学歴もない、能力もない、『働くとは』といった専門的な知識もなにもありません。結果的にこうなっている現実の過程を聞いていただき、働くということについて少しでも何かを感じてもらえたら光栄です。
 ご清聴ありがとうございました。
(文責:吉本真由美)



講師プロフィール

1945年 奈良県生まれ。
中学卒業と同時に乾物屋に丁稚奉公。
1973年に大阪ミナミ千日前に、お好み焼き「千房」を開店。
大阪の味を独自の感性で国内のみならず海外にも広めている。
その間、1986年には高等学校を卒業。
現在、自身の体験をふまえた独特の持論で社会教育家としても注目を集め、全国各地で講演を行う。著書に『無印人間でも社長になれた』『できるやんか』などがある。