「労働組合」の視点からみた
今後の働き方
幅広論議の原点はあくまでも
「人」を中心におくことが重要です
日本基幹産業労働組合連合会
伊 藤 彰 英


はじめに


 皆さんご安全に! ただいまご紹介頂きました、基幹労連本部で組織を担当しております伊藤と申します。少し自己紹介をさせて頂きますが、私は大学卒業後、証券会社に入社し、証券マンとして6年半ほど働いていたのですが、ある時自分の「働き方」に疑問を感じ、たまたま就職情報誌に載っていた旧鉄鋼労連の中途採用募集を見つけ、思い切って転身を図りました。現在の職場ですでに13年働いていますが、おもに賃金政策を担当してきました。本日は私自身のこれまでの経験を生かしながら「労働組合の視点からみた今後の働き方」というテーマでお話しさせて頂きます。


「幅広論議」を開始するにあたっての
基本認識は


 「労働組合」の最大の役割のひとつに賃金などの労働諸条件の向上があります。しかし、その象徴的な存在であった「ベ・ア」を労働組合が要求すらしないでいるうちに、「ベ・ア」はもはや死語になりつつあります。もちろん高度成長期が終焉したという経済情勢がその背景にあるのですが、はたして本当にこのままでいいのかという発想のもとで、数年前、鉄鋼労連の中で今後の課題としてクローズアップされました。
  労働条件というものはどうあるべきか、働き方というものはどうあるべきか、企業の存続ということをどうとらえるべきかということを、今後の労働運動を考えるにあたって、様々な角度から検討していかなくてはならないのではないかということです。こうして考え始めたことが、昨年、「幅広い労働条件に関する論議(幅広論議)」という名称とともにその方向性がまとまり、各組合の労使で論議することになりました。
  皆さんの組合でも、間もなく会社と論議を開始すると伺っていますが、本日はその骨子について紹介させて頂きながら、限られた時間の中で皆さんに問題提起をしていきたいと思います。


労働運動における
「団塊の世代」の位置づけ


 皆さんは「団塊の世代」の意味をわかりますか? 漠然と「あの辺の層の人たちだな」というのはおわかりだと思いますが、実は堺屋太一さんが1976年に発表した著書によって登場した言葉で、第二次世界大戦直後の1947年から1950年にかけての第一次ベビーブームで生まれた世代のことをいいます。現在53歳ぐらいから58歳ぐらいまでの世代で、その前後の世代と比べて極端に人口比が高いことから、「団塊の世代」という言葉で表されています。
  そこでまず、基幹労連総合部門の労務構成推移のグラフを見て頂きたいと思います。上の二つのグラフは2004年の労務構成の実態、下の二つのグラフは2010年の労務構成を推定したものです。それぞれ右側が事務・技術系、左側が技能系となっています。2004年のグラフを見ると、上の方に膨らんでいるところがありますが、これが高度成長期における大量採用層、いわゆる「団塊の世代」と呼ばれるかたまりです。このグラフを見て頂ければ、この後私が何をお話ししようとしているかだいたい想像して頂けるかと思います。
  団塊の世代の特徴といえば、生まれながらにして同世代の人数が多いので、「あなたたちは一生競争していかなければいけない」と育てられたということです。小学校に入ると教室が不足して仮設教室に詰め込まれ、厳しい受験競争をくぐり抜け、会社に入ってからは高度成長時代を支えた企業戦士、モーレツ社員と呼ばれ、走り続けた世代です。
  私たちが今後の働き方を検討していくうえで、この団塊の世代が労働運動にどう関わってきたのかを見ておく必要があります。まず考えられるのは団塊の世代は他の世代よりも人数が多いということです。つまり、団塊の世代の声は大きい、強い、従ってこの世代の人たちにターゲットをあてた様々な労働条件設定がなされてきたという実態があります。
  例えば、ここ20〜30年の状況では、高度成長期において企業は人材を大量に採用したいと考え、そのためには初任給を魅力あるものにしなければなりません。団塊の世代がやがて結婚し子供もでき、働き盛りになってきたら、その生活を保障するために、なんとか中堅層の処遇を是正しなければいけません。このようなことから労働組合の取り組みは自ずと団塊の世代に焦点を当てたものになってきたのです。そして現在、その団塊の世代がもうすぐ退職する段階になって、年金支給開始年齢が徐々に引き上げられるという状況もあいまって、「60歳以降の就労を確保しないと老後生活に支障をきたすことになる」と、常に「団塊の世代」を意識した労働運動がなされてきたといっても過言ではありません。
  もう一度グラフをご覧頂きたいのですが、2004年と2010年の変化を見てみなさんはどう思いますか? 「もう少しで団塊の世代が退職する」、「そうすれば従業員が大幅に減少する」、「上のコブがなくなって労務構成が軽くなる」等々、いろいろな発想ができますよね。ただ、そのことが会社にとって全てプラスに影響するのではなく、むしろマイナスとなることの方が多いといえます。要は、2010年までに大量採用層の団塊の世代が抜けていく時代が始まるということは、産業の労務構成において「潮の変わり目」を迎えることになるということです。今までは、グラフ上の固まりがどんどん上にシフトしていったのですが、年代は変わっても会社の中にいるわけですから全体の人数は変わりませんでした。しかし、この団塊の世代がゴッソリ抜けてしまうことによって、様々な弊害、様々な対応をとらなければならないことが発生します。



優秀な人材の確保のために
「採用力」の強化が必要


 企業には優秀な人材が必要なのは言うまでもありませんが、今後はそのベテラン層が大量に定年退職を迎えるため、残された人は少ない人数で同じ量の仕事をこなさなければなりません。それを実現するためにはこれまで以上に優秀な人材の確保が必要になってくることが、企業にとって一番大きな課題です。
  それと同時に、日本全体の人口が減っていることも問題をより深刻化させています。統計的な話になりますが、15歳から65歳までの働くことのできる人数で示す「生産年齢人口」は、すでに96年に減少傾向に入っています。それからわが国の総人口も2006年でピークアウトし、減り続けていくことになります。総人口が減り、かつ少子高齢化が進む中で、どうやって優秀な人材を確保していくのか、そのためには何が必要か、ということを経営は考えていかなければなりません。
  少ない人員で今以上の業務をこなしていくための方策として、一つは業務提携や、アウトソーシング化が考えられます。もう一つは、どういう人に業務をこなしてもらうかという点です。60歳以降者や、女性、パートや派遣労働者もあります。もっと広くとらえるといくと外国人労働者も含め、こうした対象まで考えていかないと要員が確保できないということにもなりかねません。
  一方で、こうした労働力不足という状況のもとでは、「採用力」の強化も欠かすことはできません。個別企業としてではなく、グループ全体の採用力を高めていくことが非常に重要になります。ではどのようにすれば「採用力」は高まるのでしょうか。本日は「働く」ということについて考える委員会の第2ステージということでもありますので、皆さんの頭の中にはある程度答えがあるのかもしれませんが、「魅力ある労働条件」、「やりがいのある仕事」、「企業の収益確保」、この三つの要素がないと「採用力」は強化できません。それができなければ魅力ある企業、魅力ある産業にはならないということです。この点をまずは労使で十分に認識して、今後のさまざまな戦略を立てていかなければなりません。



「国際競争力の強化」と
「産業・企業としての魅力向上」


 それでは、このような社会環境の中で、企業が未来に向かって継続的に発展するためには何が必要なのかを考えてみると、私は「国際競争力の強化」と「産業・企業としての魅力向上」という二つの点が重要であると思います。
  皆さんもよくご存じのとおり、中国や韓国などアジア諸国の急成長により、国際競争は熾烈を極めています。生き残りをかけた「国際競争力の強化」のためには何が必要なのでしょうか。一つ目はこれだけスピードが速い時代の流れの中で、戦略的かつ変化に柔軟に対応できるようなマネージメント力の強化です。
  二つ目は、基盤である人材あるいは設備の総点検ですね。もう一度すべてを洗い出して再投資すべきところには再投資するということが必要になってきます。人材という観点で言えば、「ハイパフォーマー」と呼ばれる、高い成果を出しうる人材が必要であり、こうした人材を「育成」することが必要なんです。間違ってはいけないのは、ハイパフォーマーを雇うことが重要なのではなく、そういう人材を育成していくことや全員が育っていくシステムを作ることが重要です。もちろん、働きがいやモチベーションを維持していくということも重要になってきますし、技術・技能を、如何に伝承し、発揮していくかということも非常に重要なテーマになってきます。
  それから三つ目でありますが、当然のことながら徹底したコスト低減も必要です。コスト低減には、高い付加価値を持った製品に対するコスト低減力と汎用品レベルにおけるコスト低減力の二つの側面があります。
  四つ目は、採用配置等も含めた企業グループとしてのマネージメント力の向上です。冒頭申し上げましたとおり、一企業だけではもはや生産体制を維持することができなくなっています。神戸製鋼さんを想像して頂ければわかるように、同じ製鉄所の中にあらゆる産業、あるいはあらゆる企業体が存在して成り立っています。そうした背景からすれば、神戸製鋼が収益を上げるためには、その関連産業が高い技術力、高い収益力をもっていかないと成立しない状況になっているのです。


企業競争力の強化と労働条件の
向上は矛盾しない


 では、もう一方の切り口である「産業・企業としての魅力向上」に向けては何が必要でしょうか。まずは仕事を通じて満足感があることが、産業・企業としての魅力向上に一番大きな要素ではないでしょうか。仕事の満足感といっても人それぞれ感性が違うため一口には言えませんが、基本的には仕事を通じて会社に貢献し、自分もそれに伴って成長し、それで適正な評価を受ける、ということが満足感という言葉に繋がります。
  二つ目は、働いている企業あるいはその企業グループに、所属する満足感があることです。ロイヤリティーという言い方もしますが、この企業で働くという誇りをもてるかどうかということです。それは我が国経済のみならず、世界経済に与える影響力、それから社会への貢献度合い、例えば神鋼環境ソリューションのプラント技術のような社会における貢献度の高さ、評価の高さ、将来性、こういった要素が「所属する」という満足感に繋がります。
  三つ目は、当然満足感があるような質の高い仕事をするためには、良好な労働条件・労使関係・労働環境を実感できることが必要です。それにはまず「長期安定雇用」が重要です。いつ自分がクビになるかもわからないような所で働いていても頑張ろうといった気持ちは生まれません。安定的な雇用と安全快適な職場が確立され、後は挙げればキリがありませんが、高い収入、短い労働時間も関係するのでしょう。
  しかし、様々な労働条件や育成に向けた研修制度を含めて、多額のコストがかかることも事実です。つまり、日本の労働者というのは非常に高い経営資源ということもできます。その高い経営資源を使う以上高い付加価値製品を生み出し続けることが重要であって、それでこそ製造業は日本で生産基盤を維持できることになります。逆に、高い付加価値製品を作ることができないのであれば、アメリカの電機産業や繊維産業のように、そのときは日本の製造業のポジションは東南アジアにとって変わられるでしょう。
  こうしたことからすれば、「国際競争力の強化」「産業・企業としての魅力向上」がスパイラルアップしていくこと、つまり相乗効果を持ちながらお互いに高い位置へステージアップしていくことが非常に重要です。要は「競争力の強化と労働条件の向上は矛盾しない」、矛盾しないようなシステムを作り上げることが必要です。言葉で言うのは簡単ですが、非常に難しい話だと思います。しかし会社の発展と私たちの満足感の向上に向けて、それが実現するような施策を、労働組合として経営側と共通の状況認識に立って創っていかなければなりません。


広範な労働条件決定のあり方


 このような基本認識のもとで作成されたのが、皆さんのお手元に配布しています「広範な労働条件決定のあり方」です。国際競争力が激化する中で、魅力ある産業・企業の実現に向けて労働条件というものをどのように考え決定していかなければならないのかについて、雇用、安全・健康、勤務、要員、配置、育成、処遇、福利厚生など、様々な観点から世代ごとのマトリックスとして整理をしました。
  冒頭申し上げましたように、今までは団塊の世代にターゲットをあてれば良かったんですけども、若手には若手なりの考え方、あるいは会社での位置づけや成長度合い、処遇もあります。中堅層は中堅層なりの役割、働き甲斐、生活があります。ベテラン層にはベテラン層なりのものがあり、シニアにはシニアなりのものがあります。現在は、「多様性の時代」と言われていますが、多様性をどうひとつのものに取り込んで、一気通貫で仕上げていくことを考えていかなければなりません。今までの組合、あるいは今までの企業には、一気通貫という考えが多少抜けていたという傾向があり、どうしても輪切りでものごとを考えていました。今後は輪切りで考えずに、全部それらをひとつのマトリックスという形で考えて、作り込んでいってはどうだろうか……。この様に考えて出来上がったのがこの表です。
  ただ、こういうマトリックスを提示しますと、ともすれば平均的な議論になってしまいがちです。平均的な議論というのは、全体像の中で「これはしょうがないよね」、「ここをなんとか活かすしかないよね」というような単純な話になってしまいますが、そうではなくて全部が大事なんです。その中で、相互の関連性をどのように持たせていくのかを議論して頂きたいと思います。


会社が社員に期待すること


 こうした環境の下で、経営は、国際競争を生き抜くために、変化への柔軟な対応力、それから基礎的なベースの実力を向上させ、発揮する人材が欲しいと考えています。ではその中で会社はどういうことを働く私たちに求めるのでしょうか、あるいはどういう施策を考えているのでしょうか。一つ目は、業務と成果です。成果主義とよく言われますけど、業務と成果をいかに相乗効果で高めていくかという点を会社は求めてきます。
  それから次の二点が非常に重要なことですが、「褒める制度」、それから「対話によって気づく・気づかせる制度」、この二つが一番今後大事になってくると思います。褒める制度というのはただ「君はよく頑張ったね、今後も頑張れよ」と褒める、そういう単純な話ではありません。言葉だけではなく、処遇、昇進、仕事の与え方など、褒めるということによって能力を伸ばしていくことです。昔は叩いて人材を育てましたけれど、今は褒めるということも非常に大事だということです。また、マネージメントする側と仕事をこなす側の対話によってモチベーションを維持したり、それから「次はこれをしなければいけないんだ」と気づくこと・気づかせることも大切です。こうした自発的な「気づき」といった行動が大事になってきます。これを会社としては何とかやっていきたいということです。
  一方、今会社が悩んでおりますのが、評価の幅のあり方で、これは各社とも非常に悩んでいます。成果主義的であまり好きではありませんが、個人の努力に報いるために格差を拡大してもいいのか、それとも調和を重視する方が良いのかについて会社は悩んでいます。皆さんがどちらが望ましいと考えるかによって決まってきますので、後ほど詳しくお話しします。
  また、マネージャーとスペシャリストの融合も重要な課題です。要は組織を系統立てて動かす能力と、スペシャリスト、専門家としての能力をどうミックスさせて対応していくかであり、これが今会社が求めてるところで、悩んでいるところでもあります。


社員が会社に期待すること


 それでは組合員は会社に何を期待するのでしょうか。これは今みなさんが思っているそのままですよね。単純なことかもしれませんが、3点あると思います。一つ目は、職場の環境が良好で長期雇用や一定の生活の安定基盤があることです。二つ目は、社会の中での位置付けが確認されることです。何を言いたいかといいますと、「世間よりはそこそこいいよね」、「世間と比べて妥当だよね」というように、世間相場というものを自分で意識できること、あるいは世間と比べて成長度合いを確認できることです。三つ目は、単に仕事を与えられるだけではなく、様々な道を自分が切り拓いていくというチャンスがあったり、期待感があったり、達成感があることになります。


60歳超雇用問題の広がり


 話を戻して申し訳ありませんが、今後の企業を考えていく上で冒頭にお話ししたとおり、60歳以降者の就労問題は避けて通ることができません。先ほどの労務構成のグラフをもう一度見て頂きたいのですが、2010年のグラフを見ると、ちょうど40代の人数が少なくなっています。この少なくなっている世代の人たちは会社の中でどういう位置づけの人でしょう。私は「背中を見せる人たち」だと思います。若い部下たちに、あるいは中堅層に自分の背中を見せたり、色々なことを教え、教育する立場にあります。高いパフォーマンスをあげながら、自分は次に繋げるということをやっていかなければならない世代の層ですね。自分の仕事もこなし、成果も発揮しながら、なおかつ教育もしてもらわなければなりません。2010年には、その層がいないんですよ。これは非常に大きな問題でありまして、それでは若い世代は誰が育てていくのでしょう。教育なくして企業の繁栄はありませんから、それならば60歳以降者をうまく活用してはどうだろうか、という発想が出てくるわけですね。
  そうした様々な切り口からマトリックスとして作っています。本日、一つひとつ見て頂くというのは難しいかもしれませんが、まずはご自分がどの層に当てはまるのかということを考えながらぜひ見て頂きたいと思います。例えば左側の真ん中に「安全・健康」という項目がありますけども、それを見てみますと若手層は意識付け教育というところから始まり、若手の後半ぐらいから今度は自分から気をつけたり、メンタルヘルスもしていかなくてはなりません。では、それが中堅層になるとどうかというと、リスクゼロに向けた取り組み、設備の改善、さらには指導・提案をしていかなければなりません。ベテラン層になると、模範的な行動をしつつ、体力的にも衰えてくるため、自ら気をつけることを優先的に考えなければなりません。「安全」という切り口でも、それぞれの年代層によって自分の会社における役割、自分自身における役割は違ってくるわけです。



個人と仕事の関わり
……成果主義と働き方


 少し固い話になってしまいましたので、次にもう少し皆さんの仕事と関係の深い話をしたいと思います。個人と仕事についてはどう関わっていくのか、どう成果を発揮していくのか、という観点で成果主義と働き方や昨今の成果主義の動向についてご紹介させて頂きます。
  多くのコンサルタントや、日本経団連、新聞記事、あるいは企業でも、成果主義が企業経営にとってのカンフル剤・特効薬になると言われています。本当にそうなのでしょうか。とりわけ労働組合からみて本当にそうなのかということをみなさんには是非考えて頂きたいと思います。ここにいらっしゃる方のほとんどは、成果主義を導入すれば私はもっと評価されるだろうとお考えではないでしょうか。私も心のどこかでそう思っているかもしれません。でも本当にそうなのかと問われたら、実はそうではない実態がたくさんありますので、それを少しご紹介していきたいと思います。
  いわゆる「成果主義」がいつ頃始まったのかご存知の方いらっしゃいますか? 日本の大企業で初めて成果主義にもとづく処遇制度が導入されたのはいつか。今から十数年前の93年に、ある大手電機メーカーのF社が初めて導入しました。そのF社の実態を少し紹介しながら、成果主義についてお話ししていきたいと思います。
  93年にF社は成果主義を導入したのですが、93年とはどんな年だったのでしょうか。もう少し具体的に言うと、93年に導入したわけですから、その検討段階にある92年、91年はどんな年だったのでしょうか。それはバブルが崩壊した頃で、バブルの崩壊によって実はF社は成果主義を導入しました。
  当時、日本でバブルが崩壊した頃に当時とても成長率が高かった国があります。中国を含めたアジアも一緒になって喘いでいましたから、アジアではありません。実はアメリカだったのですが、アメリカがなぜそんなに良かったのでしょうか。皆さんも聞いたことがあるかもしれませんが、それは半導体産業が集中する西海岸のシリコンバレーにあると言われています。そこがまさに世界をリードするくらいに成長を高めて、それによって全世界的に半導体産業に一気に花が咲いた時代ともなったわけです。日本の企業はバブル崩壊で業績が落ち込んでいましたので、シリコンバレーで行われていた成果主義を頑張って導入すれば、全社員が必死になって働き我が社も復活するに違いないと、シリコンバレーを見習おうということで導入されました。
  でも皆さんよく考えてみてください。実際にシリコンバレーの成果主義で高い収入を得た人たちはどういう層かというと技術者だけだったのです。それもごく一部の開発担当者でした。彼らは10年で数億円稼ぎ、あとは余生を余裕で過ごすという層の人たちだったのです。F社は成果主義の一方の側面だけを見て、多くの社員に対して成果主義を導入してしまったのです。アメリカでは一部の対象者だけでしたが、これを全社的に活用したらものすごく強い企業になるのではないかという錯覚をしてしまったのです。
  その結果がどうなったのか。近年、ITバブルによって各社が大きく業績を改善させ、ITバブル崩壊以降の昨年からの立ち直りの時期において半導体メーカー、電機メーカー、ソフトメーカーの業績が上がってきました。ところがそのF社だけは業績回復を果たすことができませんでした。他社はV字回復したのにも関わらず一社だけできなかった原因はどこにあったのかということを紐解いて分析してみた方がいて、その方によると、社員の気持ちが会社から離れてしまっており、内部がガタガタになってしまっていたことが一番の原因であったそうです。社員はやりがいをなくし、優秀な人材はみんな外に逃げ、結局何が残ったかというと、成果主義・企業という箱だけが残って中身は穴のあいたチーズのようにスカスカになっていたということです。


評価インフレと個人主義の弊害が


 それではなぜそんな現象がおきたのでしょうか。成果主義に最も重要な評価を直属の上司が下すのですから、今後の人間関係も踏まえれば、若干甘めにならざるを得ません。当然その評価は、「今回あなたはCでしたよ」、「Dでしたよ」と相手に伝えられるのです。それを聞いた被評価者は「なんで俺はCなんだよ」、「Dなんだよ」と不満を持ち上司への不信感を増長しかねません。それを避けるために評価者は当然、若干甘めにするわけです。これを続けていくうちに、本来だったらC評価の人はBになり、B評価の人はAに置き換えられます。それでは本来からAだった人は、今度はSAという評価をもらうことになるという評価インフレが起きたのです。評価インフレが起きると、人件費に使える財源は一定ですから、A評価をもらってもB評価の給料しかもらえないということになります。どう思います? A評価をもらって喜んで給料袋を開けてみたらまったく処遇が変わっていない、むしろ下がることすら起きかねません。これでは会社に対する信頼がもてなくなりますよね。
  その次に何が起きたかといいますと、評価で給料が上がらないのであれば、残業代で収入を維持しようという発想になり、ダラダラ残業が今度は起きるようになります。そうしたことによって人件費はそれまでより2割も余計にかかってしまうということになりました。
  結果的に最後が一番決定的です。評価を作るためにはまず目標を設定するのですが、例えば「営業成績を去年より1割増やすぞ」とチャレンジ目標に立てていた人が、「今年は環境が厳しいからなんとか昨年実績を維持したい」という目標に下がる現象が起きました。なぜかというと、目標をクリアしないとA評価がもらえないからです。社員の目標設定が低下していけば、会社としてのモチベーションやモラルが下がっていきます。しかも個人主義の発想が横行していきます。例えばトップセールスマンがいたとします。その人はスーパーマンだけど、ではそのスーパーマンをどれだけの人たちが支えているのでしょう。事務作業してくれる人もいます。一緒に同伴外交してくれる上司もいます。でも個人に全部成果が反映されてしまうとしたら、今まではグループとしての成果に対して応援を受け、感謝もされていたところが、いつからか「あいつは自分の給料のために働いているのか」と、誰も手伝ってくれないし助けてくれなくなり、そうすると彼自身の成績も思うように上げられなくなり、ひいては会社としての業績も低下していくことになりかねません。


日米の教育システムの違い


 成果主義について私は悪いことばかりをいいましたけれども、個別化・多様化の時代の中でやりがいを如何に持たせるかという意味では、重要な視点でもあり、検討せざるを得ない状況にもあります。ではなぜ歯車が狂ってしまったのでしょう。なぜF社は何を失敗してしまったのでしょうか。そこを少し考えてみなければなりません。
  F社はアメリカの制度をそのまま単純に持ち込みましたが、アメリカと日本では何が違うのでしょう。一つは教育システムの違いが挙げられます。アメリカは小学校からの教育が日本とまったく異なっており、小学生でも落第があります。A〜Fの評価の中でFがついたら落第し、その単位はもう一回同じ学年をやらなければならず、小学校の頃からそうした評価の訓練が非常によくされています。日本で通知表をもらったら、「よくできました」、「できる」、「もう少し頑張りましょう」とアバウトな評価にとどまっていますが、アメリカでは明確に区分されます。シンガポールではもっと明確で、成績の評価で職業までも決められてしまうような国もあります。そういう国々と比較して、日本というのは、文化的にいい悪いではなく、成果主義とリンクさせた場合には、幼少の頃からの教育からすればなじみにくい文化であったといえます。
  もう一つ特徴的なのは、アメリカの大学の授業です。シラバス(Syllabus)と言いまして、自分がある授業を選考すると、最初の授業で、先生がどうやって生徒の成績を決めるかという評価の決め方を説明するのです。そうすれば、個人が納得して今後の授業に望んでいくことができます。ではこれを企業に置き換えて成果主義に当てはめた場合、本当に各人の評価がどう決定されるかということをシステマチックに教えられているのでしょうか。おそらくそれは漠然としていて、自分の評価の決定が不明確な要素にもとづいており、他人との差がよく分からないということになっているのではないでしょうか。それもこれも日本の文化、良い面・悪い面の両方を含んだ結果であり、ただちにアメリカ型の制度を導入するのは無理と言わざるをえません。
  また、日本でもある企業では取り入れているのですが、スチューデント・エヴァリュエーション(Student Evaluation)と言いまして、生徒は最後の授業で先生の評価をすることができ、F評価の先生は当然次から解雇ということになります。では今の日本で評価者の管理職が部下から同じようなことがされているのでしょうか。多くの企業の場合されてない、というよりもできないですよね。それが日本の文化なんです。アメリカの形式だけを真似することによって、日本のいい文化や伝統をまったく無視してしまった成果主義を導入してしまった企業もありました。また、今、実際それを取り入れようとしている企業があることも事実です。皆さんももう一度本当にそれで良いのかについてよく考えて頂きたいと思います。



真の成果主義はプロセス重視


 では今のアメリカの労使の興味の的は何かというと、成果主義ではなく雇用保障になってきています。成果主義については日本が検討している1歩も2歩も前に行っています。今日本で行われている成果主義を言い換えれば結果主義ということになります。ところがアメリカが今考えている成果主義、実際に実践している成果主義はプロセス主義なんです。結果だけではなく、結果を導くためにどういう努力をしたか、どういう行動をしたかについて評価することを実践しており、これまで日本が実践してきたようなことを成果主義の発想に活かしているのです。現にフォードやIBMもプロセス重視の成果主義を取り入れています。
  一方では、顧客重視の成果主義を行っている企業もあります。いくら利益をあげるかではなくて、いくら顧客を満足させられたか、会社ではなくていくら顧客に貢献できたかという顧客主義を実践しているところです。例えばスターバックスなどのサービス産業が盛んに取り組んでいます。つまり、アメリカの優良企業と言われる企業は、日本のやろうとしている形式的な成果主義からはもうとうに脱皮して、雇用保障をしながらプロセスを重視する、言い換えれば「いかに育てていかに刈り取るか」として成果主義を捕らえているわけです。日本の成果主義は刈り取り型で、誰も次の人を教育しようという気にならないような制度を入れようとしています。それに対する考え方も先ほどのマトリックスに含まれていますので、そういった目でもう一度マトリックスをご覧になって頂きたいと思います。


今後の日本のめざす成果主義


 では日本はどういった道を行けばいいのでしょう。日本はかつて勤続・年齢によって賃金が決まる年功賃金、俗に言う公務員型の賃金制度でした。次に職能資格制度が出てきました。個人がこういった仕事ができるだろうということで、その人の給料を決める制度です。年齢だけでも結果だけでもなくて、この人にはこのぐらいやってほしい、このぐらいのことができる、という期待感をもとに制度を作ってきました。今度はここから更に脱皮してどういう制度を描こうとしているかというと、ある程度の年齢・勤続でカーブがフラットになり、頑張った人は段階的に賃金が上がるという成果主義です。現状が続けばもうここからあなたの賃金は上がりませんが、頑張った人、評価の高い人には高い賃金をあげますよ、ということをやろうとしている企業が多いです。
  でもそれでいいのでしょうか。世界の流れを見ても、単純な成果主義にもとづく制度は長くは続かず、これでは企業の発展はなくなってしまいます。ただ、年功賃金あるいは職能資格賃金のような右肩上がりに上がっていく賃金制度は、成長過程にある、企業のパイが拡大している、あるいは成長のパイが拡大している頃は、優れた制度として有効に機能したのです。かつてソニーの会長が書いている本で、『ジャパンアズナンバーワン』がアメリカも含めて世界中でブレイクし、アメリカでも日本の長期安定雇用や年功重視を当時の日本の強みとしてとりいれ、今も実際には日本のとってきた雇用保障を取り入れています。
  しかし、これだけ変化の早い時代、あるいは個人の色々な多様性が存在する中で、これまでのような画一的な制度というのは作り得ない状況になってしまったのです。単純な成果主義というのは受け入れたくないのですが、何が個別企業にとってベストな選択肢なのかを、是非皆さんに考えて頂きたいんです。


成長を実感できる制度の構築


 私は切り口は三つだと思います。一つは、長期安定・長期雇用という雇用保障が大前提になってきます。二つ目は、個々人が成長しているというのを自分で感じることができる教育制度・賃金制度を作っていくことです。三つ目は、プロセスの重視です。結果だけではなくてそこに至るまでの動機付け、あるいは様々な対話活動、様々なプロセスを通じて、どうやって最後の結果点に持っていくことができるか、そこへ答えを導き出すことができるか、ということを重視した制度を作っていかなければならないと思います。そういった観点で見ていきながら、なおかつやりたくないけどどうしてもやらなければいけない成果主義だとするなら、これ以外に考えなければいけない要素としてグループとしての成果について考える必要があります。グループというのは企業グループという意味ではなく、ひとつの部・ひとつの課・ひとつのチームというグループの成果をどう考えるかだと思います。例えば営業マンは個人でやれますけど経理の人はどうか、一人の成果ではできない仕事をグループとしてとらえ、それをどう成果に活かし、グループとしてのモチベーションをどう維持・向上させていくかという発想をもつことが大事です。幼少からの教育が違いますから、個人の能力だけで欧米諸国やアジア諸国に勝ることは決して簡単ではなく、総合力・グループ力をいかに磨いていくかということも十分に考えていかなければなりません。
  四つ目は逆転の発想です。減点法のような差が取り戻せないような制度というのは、個人の意識がどんどん低下してしまいます。次に頑張ればいい、次こそ何とか頑張ろうという、失敗してもまた頑張る意欲の持てる加点法の制度をどう取り込むかも重要な要素です。


業務を仕事に変えることから


 最後になりますが、こうした制度の構築には様々な前提があります。実際こうした制度を導入していくためには、個人のレベルがそこまで達していなければ難しいものとなります。私のかつての上司から「仕事と業務とどう違うかよく考えろ」と何度も言われました。みなさんはどうですか? 仕事と業務、仕事と作業を区別して働いていますか?
  イメージでは何となくわかるんですが、一体仕事と業務は何が違うんでしょうか。誤解しないで頂きたいのですが、これは決して「現場、ラインの中の仕事だからと作業ばっかりだよ」というそんな小さな話ではなく、もっと大きな意味で捉えて、仕事と作業がどう違うのかということです。
  私は、自らの提案が加わること、自らの改善案や自らの意思が加わることによって、ようやく作業が仕事に変わると思います。つまり、仕事をできる段階の人が何とか成果主義についていけるということです。そのためには、まずは作業から仕事に個々人の仕事のこなし方やモチベーションを切り替えていかなければなりません。決して難しいことではないと思います。いかに自らの提案、自らのアイデアをその仕事の中に加えていくかということです。
  例えば現場でいえばコスト改善のためにどういう省力化をするか、ひとつのアイデアでもなんでもいいんです。「ここのラインを工夫したらもっと省力化できるのではないか、スピードアップするのではないか」、「メンテナンスのシフトをこう変えることによって、もっと効果が生まれるよ」というような日常の仕事に自分のアイデアを加える、提案を加えることによってようやく作業から仕事に変わります。それをやってこそ、ようやくその成果主義というものに対応ができる素性ができてくるだろうと考えます。だからこそ教育は重要ですし、仕事の領域に踏み込んでこそ、成果主義に生かされるということです。
  様々な問題提起をさせて頂きましたので、この辺りで私の話を終えたいと思いますが、是非みなさんに考えて頂きたいことがあります。やはりその企業の中で魅力ある労働条件、あるいは魅力ある企業にしていくために何が必要なのか、どうやったら達成できるかということです。それはお金だけではありません。成果主義で否応なく個人の資質を高め、その中で頑張った人に報いる制度を作ったらいいのではないか、というような単純なものではありません。それによって失敗したところはたくさんあります。一方、そのことは労働組合だからこそ真剣に考えられると思いますので、労働組合的な発想でお考え頂ければと思います。


私の転機


 さて、私の仕事観、個人としてどのように仕事を位置づけるかについて少しお話しさせて頂きたいと思います。
  前回の第1ステージで講師をされた桃田さんが、企業と個人と家庭の関係を図で表していましたね。冒頭にもお話ししましたが、私は元々証券会社に務めていて、比較的高い成績をあげていました。その頃は毎朝7時出社で、夜は11時まで会社にいます。そこから営業が始まるんです。一般の企業の担当者はもう帰っていますので、11時を過ぎてからレストランのオーナーだとか個人投資家の自宅を訪問し、結局、家に帰るのは2時、それから3時間ほど寝て再び会社に行くような生活がずっと続いていました。バブルがちょうど崩壊した92年に結婚したのですが、結婚して半年ぐらいして証券会社を辞めてしまいました。こんな生活していて、私個人はどこへ行ってしまったのかを考えてしまったのです。そのとき何を一番感じたかというと、やりがいというのは正直言ってあまり考えていませんでしたし、お金も考えていませんでした。何を考えていたかというと、家族と過ごす時間を少しでも作りたいということと、もう一つは、人のためになる仕事がしたいということでした。そういう意味ではそれがやりがいだったのかもしれません。
  私は、二十代の頃にたまたまそういう境遇にあったために気付いてしまい、それで転職して鉄鋼労連に入ったということです。やはり個人が働くという上で、企業と家庭と個人の三要素というのは、モチベーションの持続という非常に大きな意味を持っているのでしょう。余裕のない会社生活だけでは新しい発想も生まれませんし、そもそも何のために働いているのかという根本論に突き当たってしまいます。優れた成果、満足のいく結果を導き出すには企業・個人・家庭の三位一体でようやく実現するのではないでしょうか。企業一辺倒会社主義で個人の生活がないのは、先進国では日本だけですよね。ドイツにしてもアメリカにしてもまず家族が一番で、家族があるからよい仕事もできる。もちろん個人という強い存在もあります。そうしたことを考えていくと、自分の仕事というものがまた違った感覚で見えるようになると思います。

 最後に今日はみなさんに二冊本を紹介して私の話を終わりたいと思います。是非時間が許せば読んで頂きたいと思います。一冊は、『素人のように考え、玄人として実行する』という本です。金出さんというロボット工学の第一人者の方が書いた本で、できるだけ物事は単純に考えて、それでいてプロとしての実行をしましょうということが書いてあります。
  もう一冊は、今日私がお話しさせて頂いたことをもっと知りたい方は見て頂ければいいと思いますが、労働界で隠れたベストセラーになった『内側から見た富士通』です。サブタイトルが「成果主義の崩壊」となっています。この二冊を読んで頂けると、今日の私の話について理解を深めて頂けると思います。
  雑ぱくな話になってしまいましたが、これで私の話を終わらせて頂きたいと思います。ご静聴ありがとうございました。
(速記録作成:石田健司)

● 伊藤 彰英氏 プロフィール ●
1965年生まれ 39歳 千葉県在住
1993年  証券会社勤務を経て鉄鋼労連(現基幹労連)に入職
その後、鉄鋼労連より全米鉄鋼労組、ハーバード大学などの留学経験を経て、現在に至る。



書籍の紹介
素人のように考え、玄人として実行する
―問題解決のメタ技術 
PHP文庫
金出 武雄(著)

内側から見た富士通「成果主義」の崩壊
ペーパーバックス
城  繁幸(著)