青年海外協力隊員として
  パラオに行ってきます




執行委員
高 野 重 好

はじめに

 みなさんこんにちは。執行委員の高野です。本年7月から青年海外協力隊員としてパラオ共和国で、警察官や公安局員を対象に護身術としての柔道を指導することになりました。今日は自分の夢『柔道のない真っ白な国に自分の柔道を描く』と踏み出した第一歩について話をしたいと思います。みなさんの『夢』や『目標』、そして何かにチャレンジするきっかけになればと思っています。


青年海外協力隊について

 まず、JICA(Japan International Cooperation Agency:国際協力事業団)について説明したいと思います。私は、2003年3月1日から約2年半、会社を休職し、青年海外協力隊に参加する訳ですが、まず、青年海外協力隊とはどういうものなのか、どういう制度なのか、簡単に説明したいと思います。青年海外協力隊とは開発途上国政府からの要請に基づき、JICA(国際協力事業団)が実施している国の事業で、技術、技能をもつ青年を開発途上国に派遣し、現地の人々と生活をともにしながら、その国の経済、社会の発展に貢献するといったものです。例えばセネガルで稲作栽培を主とした農業技術指導を行い水田の開墾、稲作技術の普及を行ったり、タンザニア北部の職業訓練校で溶接の指導を行ったりといった事業が繰り広げられています。
 ところで、JICAが行っているこういった事業は一体どこがお金を出しているのでしょうか。2000年度におけるJICAの技術協力は1,792億円になりますが、これは我が国のODA予算1兆466億円からなっています。JICAとはODA(政府開発援助)の実施機関として開発途上国に無償で技術協力をしています。
 次にODA(Official Development Assistance:政府開発援助)について説明したいと思います。ODAとは開発途上国の抱える問題に取り組むために、政府が開発途上国に対して提供する資金や技術援助のことをいいます。青年海外協力隊の説明をしようとすると、JICAという言葉がでてきて、JICAを説明しようとするとODAという言葉がでてきます。ODAを説明しようとするとまた新しい言葉がでてきますので、この辺で青年海外協力隊の説明は終わりたいと思います。

護身術を指導します

 この度、青年海外協力隊としてパラオ共和国という国に派遣されるわけですが、なぜパラオに派遣されるのか、目的は何なのかを簡単に説明します。最初に少しお話ししましたが、今回派遣されるパラオの警察官や公安局員は、暴力などの危害を受けるリスクを常に持っていますが、危害から自ら身を守る術、護身術を習得していません。そこで国の護身術として柔道が採用されたのですが、パラオ国内には柔道(護身術)を指導する人材がいないため、日本から誰か1名派遣してくれないかという要請があったからです。以下、派遣要請の文面を引用します。『派遣要請理由:公安局スタッフ(刑事、警察官、刑務官など)は法秩序を守るために犯罪取締やパトロール業務などを行っているが、この様な業務において暴力などの危害を受けるリスクを常に持っている。スタッフは前記危害から自ら身を守る術、護身術を習得すべきであるが、現在のところ護身術を教える人材がパラオにいない。そこで、公安局スタッフに柔道による護身術を教えながら、将来的に柔道(護身術)指導ができる人材の育成が可能な隊員の要請に至った。』(配属省庁名:法務省(Ministry of Justice) 勤務先名:公安局(Bureau of Public Safety) 地位:護身術(柔道)トレーナー(Self-Defense(Judo)Trainer)といった派遣内容です。

パラオ共和国とは

 まず、パラオ共和国の地理的状況を説明します。パラオ共和国は日本から南に約3,000kmの海原に点在する大小300余りの島々からできており、これら多数の島のうち人が住んでいるのは9島あり、残りの大多数は無人島です。また人口の半数近くが首都コロールのあるコロール島に住んでいます。
 また、歴史、文化、言葉については、第1次世界大戦の終戦後、約31年間、日本の統治時代があったため、比較的日本に近い文化が残っています。例えば前の大統領はクニオ・ナカムラさんで、パラオの公用語は英語なので「プレジデント クニオ・ナカムラ」になりますが、現地で話されているパラオ語では「クニオ・ナカムラ ダイトウリョー」になり日本と同じになります。ちなみに選挙は「センキョ」、ガソリンは「アブラ」、パンツは「サルマタ」、といった日本語がたくさん残っており、レトロな雰囲気で昔の日本を感じさせてくれるようです。もともとパラオには3,000の単語しかなかったといわれ、現在使われている文明社会に関連した言葉はすべて外来語で、そのほとんどが英語もしくは日本語が外来語化されたものという時代背景があるようです。
 次に治安状況については、銃の不法所持で15年間も服役しなければならないお国柄で、受刑者は有り余る時間を彫刻に費やし、見事に彫り上げられた作品をギフトショップに提供しています。



パラオ共和国はここにあります

高校時代に始めた柔道

 私は高校の時から柔道を始めたのですが、入学当時の体重は48kgと非常に小さく、同じ学年に県チャンピオンがいたのですが、彼の体重が95kgあったので、ちょうど彼の半分でした。また、私の靴のサイズは当時25cmで、近くの学校にその後シドニーオリンピックでメダルを獲得することになる篠原選手がいたのですが、彼の足は30cm以上あり、合同練習の時など靴を履いたまま篠原選手の靴を履くことができ、でかいなあと感心したこともありました。中学時代も背が小さく、色白だったため、女の子からは「もち肌」というあだ名を付けられ、家族からもあばら骨が洗濯板に似ていることから「洗濯板」などと言われていました。ちなみに中学時代の部活は卓球部でした。こうして、卓球部から柔道部へと変身を遂げ、みんなのカモとして始めた柔道ですが、大学、社会人になっても続け、今でも現役として試合にでられるのは、実力は別として柔道が好きという気持ちは、誰にも負けていなかったからだと思います。

お金がなくても楽しかった大学生活

 学生時代に住んでいた下宿は、一ヶ月の家賃が700円、一日3食付いていた食事代が350円という超格安で、今では考えられないようなお金で生活していました。6畳二人部屋の学生寮で、食事のメニューは今でも覚えています。月、水、金の朝食はご飯と卵とみそ汁の3点セットで、火曜と木曜はご飯とふりかけとみそ汁の3点セットでした。安さの代償として、夜の12時から食器洗い当番が回ってきたり、残飯の処理をしたりしていました。年中敷きっぱなしの布団とちゃぶ台兼勉強机でこれも年中出しっぱなしのこたつ。家賃と食費の安さにはホント助けられた思い出があるのですが、今では建て替えられてしまい寂しい思いをしています。
 大学でも柔道に励んでいましたが、初めて柔道を通して異文化に接したのは1996年、23歳の時でした。在籍していた福井大学の柔道部にコスタリカから来た留学生がいました。春休みに彼が実家のコスタリカに帰ることになり、あとを追いかけ実家の近くにあるコスタリカ大学の柔道部に顔を出すことになりました。コスタリカはパナマ運河の南に位置し、日本とはちょうど地球の反対側にあり、日本と縁がないように感じますが、柔道の練習が始まるとスペイン語が飛び交う中、『正面に礼!』や『黙想〜』、『服装正して』などは日本語がそのまま使われており、異文化の中にニッポンを感じることができました。


相部屋の学生寮 コスタリカの柔道場で

最愛の父を亡くした阪神大震災

 1995年の震災当時、実家は長田区の御蔵・菅原地区にありました。父親が亡くなったという辛い思い出はありますが、それと同じぐらいたくさんの人たちの温かさに接することができました。避難所にはボランティアで集まった人や全国から集まった支援物資でいっぱいでした。学生時代にいつも着ていた服で避難所に顔をだすと、「震災で服もそんなんしかなくて大変ですね〜」と言われ救援物資の服をいただきました。どれも普段着ていた自分の服よりもいい服でした。日本はなんて裕福な国なんだろうと切に感じました。辛い思い出としては、村野工業高校の体育館に遺体が100体以上も並べられ、棺桶が不足していたためか背の高い父にも小さいサイズの棺桶しかなく、丈がいっぱいで足を少し曲げて窮屈そうにしていたことです。また、圧迫死のためか死後硬直で拭いても拭いても口から血が噴き出してきて、顔を見る度に口から流れでた血を拭いてあげたことが今でも思い出されます。しかし、今でも誇れることもあります。両親は地震が起こったとき、1階で寝ており、父は2階の部分が落ちてくる寸前に母に覆い被さりました。母は父にかばわれるように埋まっており、二人とも2階の梁の下敷きになっていました。大きかった父の厚みでかろうじて母の命が救われました。最後の最後に好きな人を守って、大きな仕事をしたなと誇りに思っています。


震災で倒壊した我が家

詩人「星野富弘」氏との出会い

 「今できることを一生懸命にする」、という気持ちを奮い立たせる一冊の本に出会いました。著者は大学を卒業して中学校に体育教師として赴任。わずか2ヶ月後、クラブ活動の指導中に誤って墜落し頸髄損傷を負い、9年間の病院生活を送ったが手足の運動機能は回復しなかった。手も足も動かない。口に筆をくわえて書いた詩画集です。ここで是非紹介したいと思います。
『動ける人が 動かないでいるのには 忍耐が必要だ 私のように 動けないものが 動けないでいるのに 忍耐など必要だろうか そう気づいた時 私の体をギリギリに縛りつけていた 忍耐という棘のはえた縄が”フッ”と解けたような気がした』『木は自分で 動きまわることができない 神様に与えられた その場所で 精一杯枝を張り 許された高さまで 一生懸命 伸びようとしている そんな木を 私は友達のように思っている』
筆を口にくわえ、よだれを垂らしながら、ありったけの力をぶつけて引いた線に力強く生きている著者の前向きな姿を感じました。自分も、もっともっと頑張らないと・・・


星野富弘著「風の旅」より

ヒマラヤ登頂

 父が亡くなったこともあり、今やれることは精一杯やろうという気持ちが生まれてきた、1997年、学生最後の春休みに丸坊主にしてヒマラヤ登山に挑戦しました。単身ネパールに渡り、ヒマラヤ山脈アンナプルナ方面にある天空に鋭く突き刺さるような聖なるマチャプチャレ(標高6997m)を目の前で見たいと思い、アンナプルナベースキャンプの奥まで足を運びました。標高4400mから目の前にしたマチャプチャレは絶景で、何か達成感のようなものが込み上げてきました。電気のない20日間のローソク生活にも終止符を打ち、その後、神鋼パンテツクに入社することになりました。


ヒマラヤ山脈の絶景

漠然とした夢から具体的な現実へ

 柔道を活かした国際貢献や国際交流をしたいという漠然とした夢は常に持っていましたが、3年前(1999年)に見た新聞記事がひとつのきっかけになりました。記事の内容は「インド柔道はばたけ/邦人男性が本格道場」といった見出しで、ある男性が14年前からインドで柔道を教えはじめ、大学生や警察官などが毎日練習に来ていましたが、柔道を習うと行儀がよくなるという評判を聞きつけ、親が子供を連れてきたりするうちに警察学校の校長から柔道をする場所を提供され、本格道場がオープンした、といった内容の記事です。その中で、他の道場では同じカースト同士でしか組み合わないケースが多くありますが、ここでは誰とでも組み合います、とありました。また、学生は就職、警官は出世を目的として柔道を始める人も多く、全国クラスの選手になれば授業料が免除されたり、警察では大会の成績が昇進に結びつくといったケースもあります。そういった背景から日々の練習にも熱がこもり、本家の日本に対抗心を燃やし続ける男がいると紹介されていました。この記事を見て、漠然とした自分の夢が、何となく輪郭をもって見え始めてきました。
 そして、ちょうど1年前(2002年4月)、通勤電車の中で、目を疑うような吊り広告が目に飛び込んできました。『”I”をください』−『あなたの情熱を、技術を、世界は待っている』という見出しで、その中に『I am 柔道一筋』というプラカードを片手に持ち、柔道着を着た女性が腰に手を当て、広告の中に一人立っていました。最初に感じたのは、「これは怪しい!」という疑惑の思いでした。まあ、他にも『I have 熱いココロ』のプラカードを持った人や、『I am 考える植木職人』といったお兄ちゃんも広告の中にいましたので、とりあえず説明会に参加して、話しだけ聞いてみようと足を運んだのが、漠然とした夢から具体的な現実への第一歩となりました。
 神戸駅の近くで開催された説明会に参加し、印象に残った話がありました。それは、青年海外協力隊やボランティアに参加したいという人が、説明会などで『私に何かできることはありませんか?』という質問をよくするそうです。しかし、派遣された現地の人はあなたに何ができるか知りません。現地で『何かできることはありませんか?』と聞けば、必ず『あなたは何ができるのですか。何をしにきたのですか?』と聞かれます。つまり、自分は何をしに行くのか、明確な目標と意志を持たなければ、行っても役に立たない、無駄である。という内容でした。そこで初めて、自分は柔道を教えに行くんだという強い意志が生まれてきました。派遣要請の一覧を見ながら、世界の国々でどのようなことが求められているのか、そして自分には何ができ、何がやりたいのかを照らし合わせる作業から始めていきました。そうして見付けたのがパラオ共和国での柔道(護身術)指導でした。柔道のない真っ白な国に、自分の柔道を描いていくという自分の夢と、パラオ共和国からの派遣要請の内容がぴったり当てはまり、迷わず選考会に応募しました。


心が躍った新聞記事 第一歩を踏み出すきっかけとなったJICAの広告

選考会を受けて
〜一次選考から最終選考まで〜

 4月10日から募集の受付が始まり、選考書類を送って1次試験を受けました。1次試験は本社の南にあるJICAのビルで行われました。試験内容は英語、適正検査、人造語、専門技術の試験でした。みなさん、人造語ってご存知ですか?
 英語の試験もありましたが、派遣される国が英語圏とは限りません。世界にはスペイン語やフランス語、そして、派遣される国にはスワヒリ語やこれって言葉?と思うような言語もあります。そこで、語学を習得する能力を判断するため人造語という人工的に作り出した言葉で試験をします。例題を見てわかるように、パズルのような感じです。

人造語試験と出題された問題です。
チャレンジしてみて下さい。
例文
私は学生です。  pom pen nakrian
あなたは先生ですか。khun pen khruu mai ?
彼は日本人ではない。 kao mai pen yiipun

例文を参考に「彼女は先生ではない」は
次のうちどれでしょうか。
 1. kao pen nakrian mai.
 2. kao mai pen khruu.
 3. kao mai pen yiipun.
 4. Kao pen nakrian mai.
 5. Kao mai pen khruu.
野球に関する技術試験です。これが出来れば指導者として、青年海外協力隊員になれます。
みなさんわかりますか?
問1 以下の事柄をルールブックの内容で述べなさい。
 1)STRIKE(4つ以上)
 2)THROWとPITCH
 3)正規の投球

問2 以下の語句について述べなさい。
 1)ウォームアップ
 2)ペリオダイゼーション

問3 12歳投手に対する指導のポイント(含む傷害予防)を述べなさい。

問4 スライデイングの段階的指導(初心者対象)について述べなさい。

問5 打撃練習(攻撃力の向上)を行う上での留意点を述べなさい。

 1次試験に合格し、いよいよ最終選考に挑戦することになりました。最終選考は東京で、一般面接や技術面接があり、柔道の選考試合や型の試験などが行われました。面接では志望動機や現地での生活スタイル、住居が提供できないときはホームステイ方式になるとか、派遣国で休日が与えられたらどのように過ごすか、また、会社、親とはどのような話しをしたのか、といった内容の一般面接から始まり、柔道の技術面接、選考試合へと移っていきました。しかし、最終選考ではそれ以外にも重要な項目があります。それは『健康』です。いくら専門知識があっても、健康を損なえば任務を遂行することができません。1次選考では診断書を提出するだけでしたが、最終選考ではより精密な健康診断を受け、歯科検診もあります。場合によって親知らずの抜歯が条件になることもあります。飲み過ぎは血液検査ですぐに出ます。体調管理のできない人は受験資格なしといった雰囲気でした。
 こうして念願であった最終選考にも合格することが出来たのです。しかし、合格通知を受け取ってからの心境はなかなか複雑なものでした。うれしい反面、会社の危機的な状況を目の前にして、早期退職優遇制度などで多くの先輩方が抜け、さらに自分が抜けることに対する責任の重さと葛藤する時期が長く続きました。選考に落ちたと思って夢をあきらめようかと思ったこともありました。しかし、夢を紙に包んで手の届かないところに片付けてしまうことは、一生後悔すると思い、派遣への決意を固めました。

親和女子中学で護身術の指導

 ちょっと話は変わりますが、昨年の12月、親和女子中学で兵庫県警による護身術の指導が行われました。手伝いとして参加したときの話ですが、女子中学生に教える護身術とはどんなものか簡単に紹介します。私は「痴漢2号」という役柄で参加したのですが、女子中学生役は現職の警官です。パンチパーマのおやじのお尻や胸を触るのにはかなり抵抗がありましたが、なかなか勉強になりました。女子中学生に一日護身術を指導しても、痴漢をやっつけることは到底できません。護身術とは何か、最初の一歩は危険なところを危険であると感じる感性を磨くことです。暗い道と明るい道がある。暗い道は危険であると感じ、少し遠くても明るい道を歩くといったことが身を守る護身術です。決して相手を倒すことではありません。みなさんが日頃から行っているKYトレーニングに似ています。そういう意味ではみなさんもKYトレーニングで仕事の護身術を身に付けていると思います。では、女子中学生にとって、体のどの部分が一番の武器になるでしょうか。肘でも足でもありません。一番の武器は声です。しかし、声を出すには勇気が入ります。電車で痴漢に遭えば、なかなか声は出せません。その時の武器は目です。痴漢をされたら決して目を伏せてはいけません。痴漢は安心して調子に乗ります。痴漢をされたら、相手を睨みつけ、さらに「ちぇっ」と舌打ちでもすれば、これ以上したら声を出されるという危険を感じ、痴漢はその場から逃げようとするそうです。それでも駄目なときは、サインペンかボールペンで触ってくる手を突きさしてマーキングしましょう。みなさんも将来、娘ができたら参考にして下さい。

決意と今後の抱負

 パラオでは、神鋼パンテツクのロゴマークが入った柔道着を着て、パラオにいる全警察官を対象に柔道を指導する訳ですから、もしみなさんがパラオに来て、パンテツクのロゴマークを付けて町を歩けば、警察官が温かく声を掛けてくれるぐらい、派遣された国の文化に溶け込み、一体となれるように頑張りたいと思います。決して、パンテツクのロゴマークを見てみなさんが逮捕されないように…。
 また、今回の派遣要請では警察官などの大人が対象ですが、派遣されている2年の間に子供達にも柔道を広めたいと思います。最初は砂浜でじゃれ合うような柔道でもいいかと思っています。そのためには柔道着が簡単にタダで手に入る環境が必要です。そこで、みなさんにお願いが一つ。高校時代に柔道の授業があり柔道着を買ったと思いますが、もし、家でまだ柔道着が眠っているようでしたら、是非、譲って下さい。現地での活動に余裕が生まれ、任務以外に子供たちと交流できる余裕が出てきましたら、またお願いしたいと思いますので、その時はご協力の程よろしくお願いします。
 学生時代に初めてアルバイトをして、そこで6年間働いていたのですが、アルバイトの初日に言われた言葉が今でも心に残っており、今の仕事に取り組む姿勢の根底にもなっている言葉があります。それは『「すいません」より「ありがとう」』という言葉です。料理屋でアルバイトをしていたのですが、お皿の盛りつけが間違っていると叱られたとき、思わず「すいません」と口にしたのですが、その言葉は間違っていると言われました。間違ったことを指摘して正しい事を教えているのだから「ありがとうございました」と言いなさい。今回の最終選考でも、現地では柔道のテクニックだけではなく礼儀作法など礼節も伝えたいと面接で話しをすると、「面接を受けた中で君の礼の仕方が一番できていなかった。立礼をするときは手の平を真横から太股の前まで滑らせ…、」といった注意を面接中ですが懇切丁寧に教えていただきました。間違っていると注意され叱られたという気持ちより、教えを頂いたという感謝の気持ちが強く、思わず「ご指摘ありがとうございました」という感謝の言葉が口からでてきました。仕事でも不安全な行動をとって注意されることがあるかもしれませんが、怒られたと思うのではなく、自分の身を守って貰ったと感謝する気持ち、また、仕事のやり方が間違っていると怒られたときは教えていただいたという感謝の気持ちを強く持つようにしています。
 パラオでもこの気持ちを忘れることなく、頑張りたいと決意しています。本日は長時間ありがとうございました。


パンテツクの柔道着を着てガンバリます(隣は山下泰裕氏)

パラオクイズ
1.パラオ語で『ツカレナオース』とはどういう意?
 a.よく眠ること
 b.薬を飲むこと
 c.ビールを飲むこと
2.パラオ語でパンツは『サルマタ』でしたが、ではブラジャーは?
 a.チチバンド
 b.ムネツツミ
 c.チチカクシ
3.パラオ共和国から引き合いを頂いたSP製品は?
 a.ホテルの空調などで水を冷やす気熱の冷却塔
 b.水素を発生させるUCのHHOG
 c.きれいな海を守る環境の水処理設備
4.パラオ共和国にある信号の数は?
 a.2カ所
 b.12カ所
 c.22カ所


護身術を指導する高野執行委員
『手首をつかまれた場合は、両手をあわせ、
振り上げれば簡単にふりほどけます』
真剣に聞き入るみなさん