エネレル子供センター |
7時間の陸路を「いざエネレルへ!」 |
5月28日(金)、ウランバートルからマイクロバスに乗って西へ片道400kmを約7時間かけてエルデネット市にある同センターに到着した。移動中のバス内では今回の旅に同行いただいた加藤氏の奥様の手作りハンバーグ弁当をいただいた。米は福島産、梅干は紀州産とのことで、モンゴルで日本の食材が食べられるとは思っていなかったメンバーはここぞとばかりにその弁当を口いっぱいに頬張った。また移動中の車窓から見たモンゴルの空や山、そして大草原といった壮大な風景を堪能できたため、メンバー一同、7時間の移動の疲れもそれほど感じなかった。 同センターのあるエルデネット市はソ連統治時代に銅の発掘と共に発展した町である。エネレル子供センターは現院長のツェベルマ氏のご主人が生前に設立した施設で、鉱山事故で亡くなった方々の子供たちを外国の援助に頼ることなく「自分たちの国の子供たちはモンゴルの人々の力で助ける」という思いで銅鉱山の会社の資金援助を受けて設立されたそうである。 センターに到着後、メンバー一同をツェベルマ院長(以下ツェベルマ母さん)が温かく出迎えてくれた。既に20時を過ぎていたため、早速贈呈品を渡す準備に入った。メンバーで手分けして、サッカーやバスケットボールを膨らまし、ケン玉や折り紙等の玩具を机の上に並べた。贈呈式ではセンターの子供たち(5歳〜18歳くらい)約20名くらいが集まってくれた。まず最初にメンバー一同で「サインバイツガノー!!」と片言のモンゴル語で挨拶をすると、子供たちからも「サインバイツガノー」と元気な声で挨拶が返ってきた。通常モンゴル語で「こんにちは」は「サインバイノー」であるが、加藤氏から相手が一人であれば「サインバイノー」だが、相手が大勢いる場合は「サインバイツガノー」と言うと「あいつモンゴル語なかなかわかっているな」とモンゴル人から思われると事前に教わっていたため「サインバイツガノー」を使った。つかみはOK。引き続き各メンバーから「ミニー ネイル あっちゃん」等と名前だけ自己紹介をしていき、川端が代表してエルデネットに同行いただいた加藤氏の奥様から教わったモンゴル語で「ウルードュル(今日) ターナルタイ(あなたたちと) ヤンズヤンジーン(いろいろな) トグロン(遊び) トゴルフォール(楽しもうと) ヤポン(日本から) イリスン(来ました)」と挨拶を行った。すると、それがうまく伝わったようで、子供たちから笑顔で拍手をもらった。移動中のマイクロバスで練習した成果がでて本当に良かった。 その後、ボールや玩具の贈呈を行った。それらがツェベルマ母さんより子供たちに手渡されると目を輝かせながら早速それで遊んでくれたので、「来て良かった」とメンバー各々が実感した。次にこちらが「しあわせなら手をたたこう」を歌うと子供たちがモンゴル語で一緒になって歌ってくれた。また、「こいのぼり」「もしもしかめよ」といった日本の歌を日本語で披露してくれた。とても上手な日本語であったため、驚きと感動を覚えた。 (川端 健) |
子供たちとの再会 |
贈呈式が終わると子供たちが施設内を案内してくれた。男の子の部屋、女の子の部屋、図書室、テレビ室、教室等を順番に案内してくれた。部屋は広く20畳ほどあっただろうか。男の子の部屋ではコンポがありアップテンポな曲を聞かせてくれた。また、一人の男の子が我々が贈呈したケン玉より立派なケン玉を持ってきて難しい技を披露してくれた。子供たちは炊事、洗濯、掃除等の自分の身の回りのことは全て自分でやっているということを聞き、このセンターの子供たちをたくましく思った。時間が遅かったので滞在時間はあまり取れなかったが、純粋な瞳で我々を迎えてくれたので本当にありがたかった。我々が宿泊するゲストゲルのある同センターのキャンプに移動するため、子供たちと別れの挨拶をしていたとき、見覚えのある5歳くらいのかわいい男の子がいることに気付いた。そう、3年前の第2次図書贈呈団のメンバーが来たとき、同メンバーの一人だった岡田圭司さん(播磨ブロック)をパパと慕っていた当時2歳くらい男の子に違いないと思った。要録集で見た岡田さんが男の子を抱いた写真が印象的であったため、今回気付くことができた。元気にたくましく育っていたことを写真と共に岡田さんに伝えたい。
キャンプ地のゲストゲルに移動し夕食をいただいた。夕食は本センターの卒業生で現在はエルデネット市内のレストランでシェフをしている男の子がわざわざゲストゲルまで出向いてくれて、ボーズとパンを準備してくれた。通常ボーズは羊肉のミンチと野菜を小麦粉の皮で包んでおり、本来は羊肉独特の臭いがするのだが、そのボーズは臭いがほとんどなく美味しくいただくことができた。日本人向けに味付けをしてくれたのだろう。今思えば今回の旅で一番美味しかったと思う。 夕食後、夏休みでウランバートルの大学から帰省している同センターの卒業生らとバスケットボールで交流した。彼らは大学に行っても休みがあればツェベルマ母さんを慕って同センターに帰ってくるとのことであった。あたりは暗く外灯が一つ照らされているだけであったが、平然とプレーをする彼らの視力及び身体能力に正直驚くばかりであった。この夜のバスケットボール交流は日付が変わる直前まで続いた。 翌朝、肌寒さで目覚めた。前夜はゲルには薪ストーブが焚かれていたが、夜中に薪の火が消えるとゲル内の室温も急激に低くなった。5℃くらいだったであろうか。今回の旅でこの夜だけが寒かった。しかし、ゲルから出ると心地よい朝日の光、山、森林、草原の緑を見て、新鮮な空気を吸って、メンバーとモンゴルの大自然の朝の雰囲気を味わった。ツェベルマ母さんを施設に送り、子供たちからの見送りを受けながらウランバートルに向けて同センターを後にした。今回は日程が非常にタイトであったため、小さい子供たちとの交流時間がなかったのが残念であった。また、贈呈品についても我々が日本で買ってきたケン玉より良いものを持っていたり、CDコンポを持っていたりしたため、次回来るときは贈呈品の内容の見直しが必要であるなと思った。 (福井篤史) |