図書贈呈

いざマルチンへ


出迎えを受けた参加者たち
 5月30日(日)、ウランバートルから国内線でマルチン郡のあるオブス県ウラーンゴムへ向かった。飛行機の中から見える景色は、空と雲、そして果てしなく続く大地だけ。モンゴルを実感した。ウラーンゴム到着間近になって、ようやく海らしきものが見えたが、それは海ではなく、世界遺産に指定されているオブス・ヌール盆地に広がるオブス湖だった。壮大な景色に感動しつつウラーンゴム空港に到着した。

ラクダと一緒に
 空港では、遠く日本からよく来たと、マルチン郡のツェンデスレン郡長を初めデンスマ校長らが出迎えてくれた。空港からはロシア製のバンとランドクルーザーに分乗し、マルチン郡へ向けて出発した。車は傾きそうになりながらも道なき道を快調に走っていった。道中、ラクダを家畜として飼っている遊牧民に出会いモンゴルらしさを感じた。また、飛行機から見えていたオブス湖に立ち寄ることができた。オブス湖は湖というより海で、湖面を流れる風が冷たく気持ち良かった。飛行機の中から見るより、ずっと壮大だと実感できた。さらに砂丘に立ち寄ることになったが、その途中でロシア製のバン1台がオーバーヒートしてしまい、どうなるかと内心ドキドキしたが30分ほどで復活し、ほっと胸をなでおろした。砂丘まで約700メートルのところで車から降りて砂丘までの道のりを歩いていると、湿地帯や川が出てきたため、靴を脱いで裸足になった。モンゴルの大地を足裏で感じ、いいなと思っていると、日本とは比べ物にならないぐらい太い蚊が、足や腕を刺した。砂丘の頂上は風が強く、痛いぐらいに砂が顔に当たるなか、みんなでビールを片手に乾杯した。忘れられない乾杯になった。


オブス湖で

砂ばくまでの道のりを裸足で歩いた

 砂丘を出発して、もうすぐマルチン郡到着だな、やれやれと思っていたら、着いたのは遊牧民のゲルだった。そこで羊の内臓を塩茹でしたものをご馳走になり、食後に乗馬体験。遊牧民のゲルを後にし、マルチン郡に到着したのは、ウラーンゴムを出発して10時間が経過した22:00だった。モンゴルは緯度が高く日の入りが遅いためか、この時間でもまだ外は薄明るい。時間感覚がズレてくる。
(川端 健)




本番にむけて

 5月31日(月)は、6月1日のモンゴルの「子供の日・母の日」の式典へ向けて、図書贈呈や絵画展、映像展などの準備を式典会場となる郡の文化ホールで行った。贈呈品を並べ、本棚を組立て、バレー等のボールに空気を入れ、当社と神鋼鋼線工業の従業員のみなさんの子供たちが描いてくれた絵画をホールの壁に展示し、友好のモニュメントに白幕を被せ、メンバー全員が協力してテキパキと準備したため、映像展のリハーサルも含めて、午前中で全て終了した。


日本語の題名を学校の職員の方がモンゴル語に訳してくれた

 そこで、午後からは学校の先生たちの有志によって、車で10分ほどの山へのハイキングを計画してくれた。 木々がまばらに茂る林に到着すると、まずビールで乾杯し、早速歌合戦開始!先に先生たちがギター片手にマルチンの歌を歌い、そのあと私たちが「エージン トゥー ハイドォー」という、モンゴル人なら誰もが知っている「お母さんの歌」やモンゴルの「四季の歌」を日本語に訳して歌った。日本の歌では「涙そうそう」や「世界に一つだけの花」をウォッカの大歓迎を受けながら歌った。その後もモンゴルと日本の双方が交互に歌が尽きるまで歌い続け、楽しく昼食をとった後、バレーボールやボール当てゲーム、ダンスなどで身体を動かすなど、夕方まで本当に楽しい一時を過ごした。


みんなで肩を組んで大合唱

バレーボールで汗を流した

 夕食は羊の石焼きだった。大きな鉄鍋に野菜と一緒に羊肉を入れ、そこへ焼いた石を入れ蓋をして蒸し焼きにする料理で、羊肉独特の臭みはあったが、茹でたものよりずっと食べやすかった。
 ふいに、食べ終わった骨付き羊肉を上空に投げる人がいた。上空を見上げると、山の上の方に飛んでいたワシが両脚で骨を掴みにくる。それを見たみんなが、必死になって上空のワシに目がけて骨を投げた。モンゴルならではの体験だ。
 ハイキングから引き上げる時、私たちはペットボトルやビン類など、土に帰らない物を持ち帰った。モンゴルの人たちの習慣にはないらしく、珍しそうに見られた。この場にいた先生たちを通じて子供たちへ伝わってくれれば良いなと思った。
(東田貴志)


贈呈式

 6月1日(火)、式典の当日、子供、大人含めて300名を超える人たちが会場へ集まった。故・冷水真吾さんのご両親からの図書贈呈、神鋼鋼線工業労働組合からの医療用品の贈呈、エコユニオンからのスポーツ用品と文具類の贈呈に引き続き、みなさんのご厚意によるチャリティーコンサートやCDの売上金で製作されたモンゴルと日本の友好のモニュメントの除幕式が行われた。この友好のモニュメントは、同時に贈呈された絵画とともに、郡の図書室に設置されることになった。


故・冷水真吾さんのご両親が図書を贈呈したことから、
"冷水真吾記念図書室"と命名された
皆さんのご協力によるCDの売上げと
コンサートの収益金により製作したモニュメント
 

除幕式の様子

 ツェンデスレン郡長およびデンスマ校長から、感謝状の贈呈が行われ、故・冷水真吾さんのご両親へ感謝状とあわせて感謝の証として絵画が贈られた。そして、故・冷水真吾さんが第1次図書贈呈団のメンバーとして交流の道を開き、その意思を継いでご両親より一昨年バレーボールが寄贈され、今回も自らマルチン郡を訪れて図書の贈呈を行ってくれたことに感謝するとし、友好の記念として郡の図書室を「冷水真吾記念図書室」と命名することが、郡長より発表された。
(福井篤史)

   

当ユニオンからチャリティー・バザー等の売上金をもとに
贈られたスポーツ用品と文具類

故・冷水真吾さんのご両親から贈られた図書と
神鋼鋼線工業労働組合より贈られた医療器具
   


映像展・絵画展

 日本文化の紹介として映像による風景写真や風土の紹介を行い、従業員の子供たちが描いてくれた絵画を展示した。前日にリハーサルをしたにもかかわらず、プロジェクターが映らないというハプニングもあったが、マルチン郡のプロジェクターを借りることで、何とか映像展も実施することができた。3年前は電気がまだ通っていなかったと聞いていたのに、今はプロジェクターを持っているということで、発展のスピードの速さに驚いた。実際に、中学生でも携帯電話を持っている子供もおり、これからどんどん変わっていくのだと感じた。しかし、私たちを受け入れてくれる人びとの心は変わっておらず、変わるものと変わらないものがあると思った次第である。
(川端 健)

 

◆従業員の子供たちが描いてくれた絵画はこちら >>


文化交流

 午後からは、日本文化の体験として、折り紙やコマ、ケン玉を体験してもらった。折り紙の実践では、少し難易度が高いが鶴を一緒に折ることにした。モンゴルでは、折り紙の文化がないので、二次元の紙が三次元の立体の鶴に徐々に変わっていくことに驚いた様子だった。また、ケン玉などは、生徒たちよりも先生が夢中になっている様子で、子供たちとケン玉をする順番の取りあいをしていた。このように生徒と先生の隔たりがなく、楽しむ時は共に楽しむといったことが定着していて、つくづく人間味のある素敵な学校だと感じた。
(神鋼鋼線工業労働組合 近藤正哉)



音楽交流

 夜は、子供たちによる歓迎の音楽、民俗舞踊の演奏と演舞があった。子供たちは、この日のために用意した民族衣装やタキシードを着て、この日のために練習した踊りやダンスを披露してくれた。まるで自分の子供の発表会を見るような気持ちで時間を忘れ楽しんだ。また、従業員の有志から小学校の先生に寄贈したギターの伴奏で、「エージン トゥー ハイドォー」をメンバーで合唱して、歓迎に応えた。歌の途中からは、会場からの歌声も加わり、ホール全体で大合唱。日本人、モンゴル人を超えて歌声を合わせる感動の瞬間だった。
 その後、ダンスパーティーが行われた。まずは大ボリュームでワルツが流れたが、今回の贈呈団の中にはオシャレにワルツを踊ることができるメンバーがいなかったので、先生にエスコートされながら、あたふたしながら踊るのがやっとだった。ワルツが流れたと思えば、次は突然、小粋なブレークビーツが流れだした。まさかマルチン郡でブレークビーツが聞けるとは思わなかった。電気が来て、情報入手のツールが多様化したようで、その後も最新のUSAのヒットチャートが流れるなど、ダンスホールの音楽はグローバル化が進んでいた。ダンスパーティーでは、メンバーそれぞれが自分なりの踊りでコミュニケーションを取り、さながら日本のバブル時代のディスコといった感じで楽しい夜を過ごした。
(神地泰宏)


スポーツ交流

 スポーツ交流として、日本チームとモンゴルチームによるバレーボール対決が行われた。体育館には観戦スペースがないため、コートのすぐ近くを多くの観戦者が取り囲み、ボールの行方に体育館全体が注目するという雰囲気のなか試合が始まった。学校の先生が審判を担当し、ネットタッチやライン際の細かいところまでしっかりと判定し、文字通りの真剣勝負となった。白熱してくると共に強烈なスパイクが飛び出したり、はたまた空振りなどの珍プレーがあったりとボールの行方に体育館全体が一喜一憂した。日本チームは、インターバルなしの連戦で、さらに対戦チームが徐々に強くなるという過酷なトーナメントだったが、冷水さんを含めバレーボール経験者を3名有する日本チームが、4試合を全勝し優勝した。先生からは「日本チームが手を抜かず真剣勝負で戦ってくれて嬉しかった。子供たちもきっと何かを感じ取ってくれるだろう」との感想があった。試合が終わった後も、レシーブやサーブの方法を教えるにわかバレーボール教室が開催され、それは、空き時間に私たちが分散して宿泊したゲスト用のゲルの中にまで及んだ。
 スポーツと歌、遊びなどは、文化や言葉の壁を越えて交流できる最強のツールであると改めて感じた。ゲルに引き上げた後も、入れ代わりで先生たちが訪れてくれ、眠る間もなく酒を酌み交わし、歌い、語らう夜となった。
(神鋼鋼線工業労働組合 野井勇希)



人々とのふれあい

 6月1日の式典の翌日は雨模様で何人かが濡れて目を覚ます。必死でゲルの天井の隙間を布で塞ごうとしたが、間に合わずに荷物が少し濡れてしまった。日本では「生憎の雨」と表現するが、雨の少ないモンゴルでは「恵みの雨」であり、雨の日の訪問者は恵みを連れてきた「幸運の人」として歓迎されるとのこと。そういう意味で、私たちは、再度、歓迎された。
 午後からマルチン郡を離れることで、郡長や先生たちが郡の境まで一緒に見送りに来てくれた。ウォッカで最後の別れをし、モンゴル相撲で投げられ、心と胃袋(肝臓)と身体にマルチン郡の歓迎を沁み込ませてマルチンを離れた。
 隣の町まで便乗した先生と、車中で身ぶり手ぶりの交流を図り、お互いの文化や考え方について話をした。こうした、公式行事以外の場所で、例えばモンゴル人と腕相撲をしたり、子供たちとモンゴル相撲をしたり、散歩の途中で会話をしたり、メンバーそれぞれが自分たちのできる方法で可能な限り交流していた。これが、民間の交流で一番大切なことであり、交流が途切れず続く秘訣なのではないかと考える。
(神鋼鋼線工業労働組合 東 太志)



自然とのふれあい

 マルチン郡までの移動を通じて大自然とふれあうことができた。見渡す限りの草原、360度の地平線、荒れ地で湧水を汲む遊牧民、砂丘での乾杯、大地を流れる川、素足で川を渡り草原を歩く、大自然を我が物顔で飛び交うワシたち、風の音以外何も聞こえない静寂、たんぽぽ畑での昼寝、放牧される羊やラクダの群れ、ラクダとの追いかけっこ、転倒するほど傾きながら道なき道を駆ける4WD車、水の大切さ……など、言葉では言い尽くせない、風景を見て、音を聞き、匂いを嗅いで、全身で大自然を感じることができた。
 またマルチン郡では、天からこぼれ落ちるとも思えるくらいの満天の星空を見ることができた。大自然と人とのふれあい、これがモンゴルの魅力であると、皆が改めて感じた次第である。
(神地泰宏)