交流報告
「マルチン村との交流から生まれたもの」
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神鋼環境ソリューション労働組合 事務局長
川 端   健


 みなさんこんにちは。先ほど司会のサイハナさんから紹介いただきました神鋼環境ソリューション労働組合の事務局長をしております川端と申します。


モンゴルとの交流に至った経緯


 私たちが、モンゴル国との交流を始めたのは1999年でした。
 当時、モンゴル国は社会主義から民主主義へ国家の制度が変わり、それまで技術的にも経済的にも支援を行ってきた旧ソ連が引き上げたことにより、大変な経済混乱を起こしていました。その影響で、親から見捨てられた子どもたちがマンホールに住み着き、このマンホールチルドレンと呼ばれる子どもたちの支援から、モンゴル国との付き合いが始まりました。
 多くのみなさんから「なぜモンゴルなの?」という質問を受けますが、その答えは、阪神・淡路大震災が関わっています。あまり知られていないことですが、震災の際に一番早く支援物資を運んでくれたのがモンゴル国でした。毛布2100枚、手袋500組、その他の支援物資を、当時のプレブドルジ副首相が政府特別機にて輸送し提供してくれました。副首相は、関西空港で支援物資の引渡しが済むと、「復興の手を止めることになるから長居をしてご迷惑を掛けたくない」と、ご自身は飛行機を降りることなくモンゴルへトンボ返りされました。僅か90分だけの日本滞在でした。
 その時のことを兵庫県は非常に恩義に感じ、その後にモンゴル北部で発生した大規模な森林火災に対して、兵庫県が仕組みを作り、県内の企業として神戸製鋼所やコープこうべが資金援助を行う形で、森林再生プロジェクトが立ち上がりました。そのときの仕組みを作られたのが、先ほど後援団体代表挨拶をいただいた当時の兵庫県環境局長の小林悦夫さんでした。
 そして、行政と企業の取り組みだけではなく、民間での交流も発展させていきたいという思いがあったことから、社会貢献活動の一環として、その民間交流の部分を私たちがやろうということになったのです。
 最初は、モンゴルのマンホールチルドレンへの支援を行なっているNGOの活動に参画し、物資を送る支援活動を行っていました。
 しかし、単に物資を集めて送るだけの活動に疑問を感じ、2001年7月に当ユニオンのセミナーに講師としてお招きした、当時の日本・モンゴル民族博物館金津館長(故人)から今後のモンゴルとの交流活動に対して様々なアドバイスを受けました。
 いろいろと試行錯誤を重ねた結果、これまでの活動を見直し、新しい交流の方向性を検討するため、現在のわたしと同じ立場である当時の井上事務局長がモンゴルを訪問し、金津館長から紹介された人物と会うことになりました。その方こそが、この後にご後援いただく、デムベレル博士でした。そのデムベレル博士と協議を行うとともに、オブス県マルチン郡を訪問し、視察を行なった結果、同郡との交流を行い、本を贈呈する活動を今後のモンゴルとの交流の柱とする方向性が決定されたのです。そして、モンゴルの西端に位置するオブス県マルチン郡の小中学校へ図書を贈呈するという活動にたどり着き、2004年に「第1次図書贈呈団」が派遣されました。このマルチン郡への図書贈呈は、単に支援をするというものではなく、図書贈呈を通じてお互いが交流するという新しい形になりました。一度に5〜6名派遣すると金額的負担も大きくなるため、2004年以降は、2007年に「第2次」、2010年に「第3次」と3年に1回のペースで図書贈呈団を派遣してきました。そして、来年2013年には「第4次図書贈呈団」が派遣されようとしております。
 以上がモンゴルとの交流に至った経緯でございます。



第1次図書贈呈団では、贈呈した楽器を使って、即席のミニコンサートが開かれた


第3次図書贈呈団に参加して


 図書贈呈はモンゴルのこどもの日でもあり、お母さんの日でもある6月1日に贈呈式が行われるため、これに合わせて日程が組まれます。
 マルチン村はウランバートルから国内線で3時間、ウラーンゴム空港から道なき道を車で7時間かけてやっと着くような村です。ウラーンゴムからの車にしても、タクシーやバスがあるわけではないので、個人的にチャーターする必要があります。国内線も毎日就航している訳ではありません。従って、6月1日にマルチン村に着くようにするためには、必然的に6月1日の前後に3日から4日必要となり、合計で約9日間の日程が組まれることになります。
 わたしが参加した第3次図書贈呈団についてはマルチン村との交流の他にも、モンゴル国営放送に出演したり、エルデネットの親のいない子どもたちの施設を訪問したり、ウランバートルで当社社員の子どもたちが描いた絵画や写真を展示する企画展も実施しました。
 これらの第3次図書贈呈団に参加した感想については、帰国後にまとめた報告書の所感があるので、そちらを紹介したいと思います。


 第3次図書贈呈団に選ばれたことで初めてモンゴルに行くことになりました。今回は事務局の立場であったため、旅の約1ヶ月前から諸準備に追われ、バタバタの状態でこの旅が成功することだけを祈ってモンゴル国の大地に降りました。
 ウランバートルに着いて初めて思ったことは道路の整備状況の悪さです。車はランドクルーザーやハマーなどの高級RV車を街の至る所で見かけるのに対し、道路の整備がまったくと言って良いほど、追いついていない状況でした。水道にしても茶色い水が出たり、ホテルのシャワーのお湯が出なかったり、モンゴル国の首都である大都市ウランバートルの道路や上下水道、温水供給といったインフラ整備の遅れに戸惑いを覚えました。
 しかし、エルデネットやマルチンへ向かう移動の道中で見た景色はさすがにモンゴル。見渡す限りの大草原、日本ではまず見ることのできない地平線、砂が吹き荒れる砂漠、羊やラクダの群れ、飛行機から見えたどこまでも続く陸地、世界遺産のオブス湖、旅の準備に追われていたことやウランバートルのインフラ整備のことなど一瞬にして忘れさせてくれた壮大な大自然がありました。その大自然を見て、空気を吸って、大地を踏みしめ、手で触り、風を体全体で受けたとき、モンゴルに来て良かったと初めて思いました。そしてなんと言っても、一番、心に残った自然は宝石をばらまいたような夜の星空です。日本の家族と同じ星空の下で繋がっていることを思うと家族が恋しくなりました。
 6月1日の記念式典本番当日。準備してきた映像展のプロジェクターが起動しなかったときは正直焦りましたが、映像展も含め、式典が何とか無事に終わったときはほっとして体の力が抜けました。あの脱力感を今でも覚えております。
 また、今回の旅でこの活動の大きさに気付いたことは、マスメディアへの出演です。たしかにマスメディアに出演することが目的ではないのですが、モンゴル国でこの活動が取り上げられていることに対し、この活動は間違っていないと思うことができました。ここまで築き上げていただいた諸先輩方の努力に対し、心から感謝したいです。
 この第3次図書贈呈団は神鋼鋼線工業労組、神鋼環境ソリューション、エコユニオンのメンバーで構成されましたが、最高のメンバーにめぐり会うことができました。このメンバーで共に過ごした9日間はかけがえのない財産になると思います。特に神鋼鋼線工業労組から3名の方に参加いただいたことが大きく、この活動がこれからの神鋼グループ全体に広がってくれればと願います。
 最後になりましたが、第3次図書贈呈団に選んでいただいた組合員の方々、超多忙にもかかわらず快く送り出していただいた職場の皆様に対して、心から感謝いたします。有り難うございました。



第2次図書贈呈団では、組合員の子ども達が描いた
絵や写真の展示会も開催した

 以上が当時の帰国直後に書いた所感です。今この場で改めて読むと当時の思い出が昨日のことのようによみがえってきます。それだけ、図書贈呈団としてモンゴルで経験してきたことが刺激的で、そのことによって感受性がこれまで以上に豊になったということです。
 「一方的に物を贈る」ではなく、お互いにとっての「交流」で得られたことが大きく、図書贈呈活動といった国際交流のすばらしさ感じました。この思いは現在も変わりません。


モンゴル相撲の真剣勝負や折り紙教室など、心がかよった交流が行われた


今後(次代)のモンゴルとの
交流に対する想い


 この図書贈呈団活動は先ほど説明したとおり、マルチン村という交通機関が全くなく、ウランバートルから丸一日かけて行くような所に、1回限りではなく、3回続けて訪問していることに対し、非常に意義があると思っています。だからマルチン村のみなさんも我々の本気度を理解してくれているのです。
 会場1Fの廊下に展示しているとおり、昨年の3.11の東日本大震災のときにはマルチン村の行政、学校、幼稚園など、534人の方から46万トゥグルグ、日本円で約31,000円を義援金として寄付いただきました。(この義援金については神戸新聞厚生事業団に寄付させていただきました。)日本で起こったことを我が身と捉え、何とかしたいと思い、その思いを私たちに託してくれた訳です。これまでの交流から生まれた絆だと思っています。



534人の寄付金リスト

幼稚園の子どもたちからも心のこもった義援金が
   
子どもたちの絵も一緒に託された

 3回、4回と続けていくと、次の第4次図書贈呈団派遣時には第1次のときに会った小学生の子どもたちが大学生となってウランバートルの大学に通っているかもしれません。
 その子どもたちが、モンゴル側のカウンターパートとして、デムベレルさんの後を引き継いでくれれば、この図書贈呈活動が更に末永いものになるので、そうなることを心から願っています。
 モンゴルに行かなくとも日本でできる交流もあります。現在たくさんのみなさんにご協力いただいている、チャリティバザーへの物資提供や本日の交流イベントなどへの参加です。これらについても「無理なく、楽しく」をモットーに今後とも継続して実施していきますので、引き続き協力をお願い致します。


みなさんのご厚意で集まった物資による、チャリティバザーは、社内外で大好評

 この会場を出られた右手に特別展示コーナーを設けております。冷水真吾さんのコーナーです。
 冷水さんはマルチン村へ初めて派遣した第1次図書贈呈団のメンバーとして、村の子どもたちにバレーボールを教えるなど交流の先駆けとして活躍しました。村の子どもたちも「バレーボールのお兄ちゃん」と今でも彼のことを良く覚えております。その冷水さんは2007年12月7日、不慮の事故により27才の若さでその生涯を終えることになりました。
 しかし、彼が流した汗や、彼が残した思いというものは今もマルチン村で輝き続けています。
 その冷水さんの汗や思いが輝き続ける限り、わたしは、いや、わたしたちは、彼の思いを引き継ぎ、次代に繋げていきたいと切実に思っています。 最後になりますが、今回の大好きなモンゴル展は様々な団体のみなさんに後援や協力をいただいたことで成り立っております。会場や資金を提供いただいたり、チラシの配布やポスターの掲示などあらゆる手を使って今回のイベントを宣伝していただいたり、そして本日この会場に足を運んでいただいたり、本当にありがとうございます。
 この活動にご賛同いただけれるのであれば、是非一緒に参加ください。次代を担う若者をマルチンへ行かせてください。社会貢献活動を通じて様々な体験を行い、人とのつながりを作ることができるこの活動は、まさに「人財」の育成であり、この図書贈呈中心とした交流が、次代を担う若者の成長につながると我々は確信しています。


 
これまでの交流の証として
関谷前委員長より贈られた
「友好のモニュメント」と
ツェンデスレン郡長より
「冷水真吾記念図書室」と
命名されたマルチン村の図書室

 今回の大好きなモンゴル展をきっかけに、モンゴルとの交流が一般市民のみなさんなど、もっと多くのみなさんへ広がることを心から期待し、わたしの報告とさせていただきます。

以上