講演 「海を越える交流、そして人々の絆」 |
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モンゴル日本関係促進協会 理事長 モンゴル・豊岡シルクロード友好協会 副会長 モンゴル 日本学会 理事 S.デムベレル 博士 |
モンゴルと日本の交流のはじまり |
モンゴルと日本の両国における文化交流は、国交が樹立するずっと以前から始まっていました。東西冷戦下で両国間の政治的関係は厳しい状況下にありましたが、文化交流が閉ざされていた窓から新鮮な風を吹き込んだのです。初めは、そよかぜ程度でしたが、政治的、経済的な交流を後押しし、国交樹立に導いたと言えるでしょう。 |
流暢な日本語で語りかけるデムベレル博士の講演 |
社会主義国時代のモンゴル |
1977年、社会主義だったモンゴルは、東ドイツやロシアと深い関係にあり、外交官になりたいと思っていた私は、ドイツ語を一生懸命勉強していました。社会主義の国から資本主義の日本に留学することは、とても難しかった時代でした。しかし、わたしは1975年にモンゴル国の外務省に入省し、多方面からの理解を得て、1977年の3月から4年間、外務省の研究生として、日本へ留学することができました。帰国後は、外務省で日本語や日本国とは全然関係のない仕事に配置されました。 |
友人・金津氏との出会い |
現在、兵庫県豊岡市但東町にある日本モンゴル民族博物館の創立者である故・金津匡伸氏とは1991年から3年ほど一緒に勤務しました。金津さんとは政策についても共通した認識をもっていましたので、よくディスカッションし、また個人的にも影響しあいました。私が絵画収集をはじめたのもその頃からです。彼はモンゴル絵画、民俗学に関する物を個人で収集していましたので、わたしは可能な限り収集の手助けをしていました。その一方で、「大事なお金をつまらないものに使っているな」と内心残念に思っていました。しかし、彼が収集してきた文化資材が基盤となり、全但東町民の努力もあって設立された素晴らしい博物館が、すでにオープンから15年を迎えたことを振り返ってみると、金津さんの地道な努力の成果に本当に心を動かされます。 このように、但東町は自らの力と可能性、そしてモンゴルに対する熱い気持ちを持って1996年に日本で唯一と言える「日本モンゴル民族博物館」を建設し、多くの日本人にモンゴルを具体的に紹介し、国民の相互理解を深めるという、この高邁な目的を支援してきました。また、このような高いレベルに達した協力関係を更に発展させるために、適切な貢献を行う目的で私たちは10年前に、「モンゴル・但東シルクロード友好協会」(現在はモンゴル・豊岡シルクロード友好協会)を作りました。私たちの協会は、当博物館の所蔵品を更に豊かにし、モンゴルと但東町の子どもが相互に訪問しあう等、交流の機会を広げており、そのための可能な限りの協力をしています。 |
故郷、オブス県マルチン村 |
この地方で生まれ育ち、進学のため故郷を離れ、その後ウランバートル市で就職し定住している数名の有志が、自分の故郷の発展に貢献するために、約10年前、地域評議会を設立しました。わたしは日本大使館に勤務しながら当会幹部として、自分の故郷のため力のかぎりを尽くしたいと頑張ってきました。 モンゴル国の人口は僅か270万人ですが国土は広大です。そのため、海外からの支援と交流の多くは首都で中心地であるウランバートルへ集中し、わたしの故郷のような中心を外れた地域には、交流の輪が届かないということが多く見受けられます。その最大の理由は、遠隔地のため、交流には時間と費用がかかる事です。 |
神鋼環境ソリューションとの |
2002年10月、モンゴル・但東シルクロード友好協会の使節団が兵庫県出石郡但東町を訪問した際、日本モンゴル民族博物館の当時館長の金津さんのご紹介により、当時神鋼環境ソリューション労働組合の執行委員長である関谷さんをはじめとする組合の皆様と、私は出会うことが出来ました。皆様が、これらの事情を深く理解し、我が村との長期にわたる交流について決定されたことに対し、当村の人々は非常に喜んで大歓迎しています。 |
井上事務局長(当時)が、図書贈呈団の 派遣に先立ち、 真冬のマルチン村を訪問 |
故冷水真吾さんが、第1次図書贈呈団の バレーボール交流で、 マルチン村との交流の礎を築いた |
モンゴルと日本の若者たちへ |
この交流を、息の長い、実りのあるものとして絶対に成功させたいと思っております。モンゴル日本両国民の相互理解が更に深まり、神鋼環境ソリューション労働組合とモンゴル国オブス県マルチン村の共同協力が、一層繁栄することを祈ってやみません。 |
マルチンの元気な子どもたち |
デムベレル博士の講演を熱心に聴く来場者 |
いずれにしても過去の体制から変わる為にも、各方面での調整と改革がより一層必要となっていますし、教育・技術分野の人材を育成することも大切だと言えます。今後、モンゴルの労働者の職業訓練を始め、高い教育の専門家を人材として育成することが重要であり、そのためにも、もっと日本の皆さんに協力していただきたいとわたしは個人的に思い、期待しています。 |
サンジ・デムベレル(Sanj DEMBEREL) プロフィール モンゴル日本関係促進協会 理事長モンゴル・豊岡シルクロード友好協会 副会長 モンゴル 日本学会 理事 言語学博士 1945年生まれ、モンゴル国オブス県出身。モンゴル教育大学卒業後、大阪外国語大学へ留学。 1975年、モンゴル国外務省事務官、1989年、在モンゴル日本大使館職員。2005年、クリジッド銀行頭取。 現役引退後は、大学非常勤講師、日蒙辞書の編纂など日本語教育に尽力。デムベレルさんの辞書は日本へ留学する若者たちのバイブルとなっている。今回の東日本大震災に対してもモンゴル国からの支援活動の先頭に立ち活躍されている。 |